伊勢地方では、川や滝、岩を祀る神社が多いように思うのですが。
猿田彦神社では、漁師さんが立派な魚を奉納されているのが印象的でした。
また大宮司中臣氏の社であった官舎神社に掲げられた大祓詞でも海が舞台になっているようにみえます。そこには持ち帰って船に乗せると安全に漁ができるという石があります。おそらく明治に合祀された地元の神がもたらしたものかもしれませんが。
カミ祀りと海との関係が気になって、ある本を読み返してみました。
植島啓司さん の 「伊勢神宮とは何か サブタイトル:日本の神は海からやってきた」です。
集英社文庫ビジュアル版 という写真をふんだんに使った一見、案内、紀行文的な本の感じです。
しかし案内本とはまったく異なる主旨の本です。
著者の植島さんは、シカゴ大学で宗教学権威のDr.エリアーデの指導を受け、アジアでもフィールドワークを行うなどの経歴を持つ宗教人類学者。筑紫著「アマテラスの誕生」には学生時代に触れて触発されたところもあるようです。しかしタイトルや表現は砂糖で覆ってあるものの、フィールドワークから、より論理的に伊勢神宮の本質を見据えています。
7世紀に政策的に生み出されたとされる伊勢神宮、その源流を縄文期に遡りフィールドから模索するような感じです。
今回の発見は、表紙カバーを取ったときにあらわれる表裏紙の写真です。
カバーの写真とはかなり異なるものです。(実際の本からお借りしました。)
まさに、縄文期に丸木舟で沿岸を航海する人たちが見た志摩の光景。
カミ祀りは、海を越えて伝った。この絵からもまさにそのように感じます。
でも、出版社として、「装丁はいかにも神社らしい写真でないと、売れない」という話になって、それらしい表紙カバーになったのでは・・・と勝手に想像します。
2015年8月発行。この本を買って6年近くなりますが、時折目を通すと、何気ない観察の中に発見があり、すごいことが書いてあるなあと思います。
とはいえ、用心深く、筑紫さんのような直接表現は避けています。しかし三重県在住の松原さんの写真が多くを語っています。
櫻井治男 さん(皇学館大学特別教授)との対談は、微妙な立場の違いの中で、伊勢神宮の本質的なところにも触れ、たいへん興味深いものでした。
磯部にある伊雑宮(いざわのみや:皇大神宮別宮)についても、その周辺のカミ祀りに残る遠い昔を、考察しています。 なぜ伊雑宮がそこにあるのか、伊勢神宮創建、地方神としてのアマテラスの原像を感じながらも、意図的に隠された歴史をフィールドから探ることを今後のテーマとしています。
「伊勢神宮とは何か」 この著には、たくさんの著者の思いが入っているので、少しづつ読み返していきたいと思います。