神宮125社 内宮末社4位 小社神社(おごそじんじゃ) | ReubenFan

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伊勢神宮/Ise Jingu

小社神社   神宮(内宮) 末社4位

社名は「おごそじんじゃ」と読みます。 読めないですね。

この「おごそ」という名前が気になって行ってみました。

「コソ」は、古朝鮮語で神社をあらわす言葉で、各地の新羅系神社の名前に使われています。
この地区を開拓し、神宮のトップ禰宜となった荒木田氏が産土神を祀ったといわれます。

 

畑(田)の中に浮かび上がる杜(もり)、100mx60mはある大きな神域に入ってみました。

 

場所は玉城町。神宮(内宮)から直線距離でも宮川越えで8Km近くあります。玉城町は、内宮の摂社や末社が多いところです。古墳も多く、神社化しているところもあります。

稲作には欠かせない水を祀る神社が多いのもこの付近に特徴です。

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「おごそ」について調べてみました。

四日市市小古曽(おごそ)には、延喜式内社の小許曽神社(こもとそじんじゃ)があります。

他にも、「コソ」という名前が付く神社はたくさんあります。

大阪には、波牟許曽神社(はむこそじんじゃ)、阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)

大分には、比賣許曽神社. (ひめこそじんじゃ)

語曽と書く場合もありますから「コソ」は外来語で、漢字が普及する前から使われていたのでしょう。

万葉仮名風にいろいろな漢字が充てられています。

 「コソ」は古代朝鮮語で祀りの場所”、神社・社を表すそうです。

これらの神社は、朝鮮半島にあった新羅、加羅に関係する神社です。
当時、朝廷は渡来人を重用し、各地にも派遣していたので、カミ祀りも影響を受けたのかもしれません。

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荒木田氏は玉城町の小社曽根というところに拠点を置いて、土地を開拓し灌漑技術を駆使して水を行き渡らせ稲作を広めたのですが、出自がはっきりしません。荒木田という名前ですが、思い浮かぶのは出雲大社の近くの荒木というところです。そこは朝鮮半島の加羅国の阿羅から来た人たちが住んだといわれます。

荒木田氏は、朝廷が開拓のためこの地区に派遣した渡来人なのでしょうか。・・荒木田氏が鎌倉時代以降祀ってきた内宮に近い韓神山のことからも関係が深い感じがします。

 

伊勢、志摩には、新羅に関係のありそうな地名や神社もいくつかあります。遠い昔、どのようなことがこの地に起きていたのでしょうか。特に、神宮125社のなかでも摂社、末社はいろいろな変遷を経て田畑や自然の中に佇まいを残しています。日本古来のカミ祀りには、この国の政治だけでなく、遠い海外、朝鮮半島の内乱や中国、アジアでの政変が影響を与えていたのだなあ、と思ったりして。

 

玉城には、古墳も多く、神社化しているところもあります。棒原神社(すぎはらじんじゃ)神社は星の出具合いによって農耕を占うと伝えられている神、天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)が祭神です。飛鳥の高松塚やキトラ古墳には 中国やシルクロードで見られる天文図がありますが、ここ玉城にも大陸からもたらされた文化が伝わっているのでしょうか。

 

土地の人たちは、そんな歴史は関係なく、今も大切に神社を守っています。杜に入ると神殿や社務所ではなく、自然と融和したカミ祀りが無意識のうちに体のなかに入り込んできます。

アニミズムが人が造り上げたしくみのなかで、生き生きと残っている。
Deep learningやAIとは次元の異なる世界ではないでしょうか。

 

 

追記編集1/2/2020、1/20/2020