教えてお伊勢さん(非公式版) 10. 韓神山(からかみやま)の謎 | ReubenFan

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伊勢神宮/Ise Jingu

伊勢神宮の謎が、どんどん増えてきました。

(お伊勢さん教えて!)


内宮の北 五十鈴川東側に 韓神山(からかみやま)があります。

山というより、標高30mにも満たない丘です。

 

なぜ?  伊勢神宮のすぐ近く、五十鈴川沿いに韓神山という名前の土地が昔からあります。
韓神とは何か、どのような由来でどんな先祖が祀られているのか・・気になりました。

いろいろな研究者が調査していますので、以下のサイト、その他資料を参照しました。

国会図書館 レファレンス協同データベース事業フォーラム

 

そこには古墳や墓もあったそうですが、大正時代の五十鈴川改修でなくなってしまったそうです。

大正7年に五十鈴川氾濫があり、上流から下流まで五十鈴川河川工事がされることになりました。

このために、消えていった史跡もたくさんあったようです。


現在と江戸時代の地図です。  
 

 

 

  

先祖からつながりがあるという近くの方が小さなお宮を作って代々管理されているらしい。
(私有地ですので、勝手に入る事はいけません。)

すぐ横を近鉄鳥羽線が分断して走っています。正面は神奈備山とされる鼓ヶ岳です。

 

 

なんと、ここに祭られているのは、伊勢神宮 内宮禰宜​​の祖墓です。

神宮 内宮の最高位の禰宜であった荒木田氏が、鎌倉時代にここに先祖のお墓を移したそうです。

神宮典略という書を紹介しているサイトから引用:

「…韓神山といふは尾崎村の山名なり。中古より城田郷積良村の山宮を此地に遷し祭れる處なり。…天見通命を祭るよしいへり。是荒木田一門の山宮にて祖墳を祭る地なり。今の世は森も絶へて大なる岩あり。其岩に向ひ東に向て祭祀せり。さて、祖墳を祭るは朝廷にて天皇の山陵を祭り給へると同じ意ばへなるべし。今の世も一門人の禰宜巡向に祭祀せり。」

 

荒木田氏は、内宮から外宮を越えて数Km離れた宮川対岸の(現)玉城町地区を開拓し、そこに拠点を置いた氏族とされています。 玉城町地区には内宮の摂社、末社の多くがあります。荒木田氏が本拠地で祀った「小社神社」はおごそ神社と読みますが、古朝鮮の言葉でカミマツリの社(やしろ)のことだそうです。宮川対岸の園相神社(そないじんじゃ)も、朝廷で祀られる朝鮮のカミです。

なぜか新羅系の神社が多いのですが、氏の出自もわからないので、南朝鮮にあった阿羅国から来た渡来系であろうと考えている研究者が多いです。

当時の朝廷では、韓のカミも祀り、渡来人氏族が活躍していましたから、特に変わったことでもなかったのでしょう。
ただし、記録によれば、伊勢神宮が整備された天武天皇のころから9世紀後半まで荒木田の名前を隠していたということです。

出雲では

やはり、韓国(からくに)という名の付く神社がいくつかあって、韓国山もあるそうです。
しかも、そのあたりには、荒木という姓が多いので、当時のネットワークがあったと思ってしまいます。

 

埼玉県の荒川神社と阿羅 から引用させていただきました。

荒木 アラキ 新羅(しら)をシラギ、百済を百済木、邑楽を大楽木と称するように、安羅国(後の百済)の安羅(あら)をアラキと称す。安羅の渡来集団は、山陰・山陽地方及び武蔵、出羽方面に移住す。


大正時代の河川工事で韓神山の古墳や、お墓はなんら学術的な調査がされず処理されてしまい、韓神社も無くなったようです。
もちろん、内宮禰宜が、韓神の祖墳を祭ってきたことや、その出身がわかると、国家神道を徹底する当時の政府にとっては、大変まずいことでもあるわけですが。

 

縄文、弥生時代から、日本は、海外の文化、技術をうまく取り込み、自らの歴史を作ってきた国だなあという感じがします。すでに縄文期には、海外の文化を取り込むだけの高い文化があったのでしょう。伝わった養蚕、米作や製鉄を発展させ、仏教、遣隋使、遣唐使の知見は律令や都市の構築に活かしています。

鎖国時代でも欧州文化を取り込み、国学者の本居宣長は古事記を生涯研究しながら詳細な世界地図を愛用していました。明治憲法は、ドイツ帝国(プロイセン)を参考にし、戦後の憲法は米国の影響を受けています。

しかし、いずれもコピペではなく、経済、教育然り、古来からきちんと消化し、高いレベルで自国の文化に吸収してきたのでしょう。神道は中国道教の影響も大きくうけていますので、非常に高いレベルでの習合の成果であるように思います。

 

縄文期から続く原始宗教は、歴史を柔軟的に取り込み、またその時代ごとの政治的な利用を排除し、今も人々の心につながっています。国家の皇祖神の宮に海外からの人材や、文化、宗教まで取り込む。

世界の他の宗教と比べてもこれは、すごいことだなあと思いました。

韓神は、皇室でも永く祀られています。そして日本人の氏神さまという伊勢神宮の禰宜が先祖を祀っていた山が「韓神山」と呼ばれます。

伊勢は、過去の文化遺産ではなく、いろいろな国際文化を取り込んで、今も、未来も続いていくパワーを持っています。神宮の表層ではなく本当の歴史を世界の人々に伝えることができれば・・海外から来る人たちともうまくこの国の文化を発展させることができる。

何本もの近鉄特急や急行電車通過の合間、韓神山から五十鈴川の向こうにカミの降る鼓ヶ岳をながめながら。

 

LASTPS2000/03