昭和時代 戦後の伊勢神宮 その1 | ReubenFan

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伊勢神宮/Ise Jingu

お知らせ----------------------
2016/5 ポストの「明治以降の伊勢神宮」 から、昭和 戦後の部分を分けました。

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だが、1945年の日本敗戦後 また逆転した。
1945年日本敗戦、その年の暮れ、12月15日、占領軍命令によって政府にだされた「神道指令」で、政治と神宮が切り離された。神宮司庁は国家機関から、宗教団体となった。米軍は戦時中から神道を利用した政府の戦争遂行思想を警戒していたのだ。
奉納されていた大砲などの戦利品は、見つからないよう跡形もなく分解され処分された。
米軍ジープが参道を走り回ったという。
もはや、政府予算が付かなくなったのは無論、政治家が公人として神宮を参拝することは禁止された。
再び、神宮は窮地に落ちた。予定されていた遷宮もそれどころではなく延期された。

 

1946年1月23日、「神道指令」に基づき、神社本庁を設立した。伊勢神宮は神社本庁の本宗とされる。



しかし、その後、さらに逆転。また伊勢は復活していく。

政治が変わり、いかなる環境下にあっても、伊勢は、生き残っていく。

敗戦により神道指令がだされ、国家神道が廃止されて20年後、紀元節は建国の日として復活。神話による最初の神武天皇の即位=日本建国ということが1966年に国会で定められたわけである。表向きは、政教分離だがやはり日本は神道の国だ。

 

伊勢神宮は宗教法人 「神社本庁」の本宗とされた。日本会議と密接な関係を持つ。
伊勢神宮のお札売り上げの半分は、本庁に吸収され、どこかに消えて行く。

本庁は、お札売り上げのノルマを全国の神社に課す。
安倍総理らは、公人として、堂々と遷宮儀式に参加した。

官房長官は、これは公的参拝ではなく私的と説明。
首相や政府要人が参拝しても、もうだれも不審に思わない。
G7サミットでの要人にも案内するという。天皇の先祖を祀ってある宗教施設に!


参拝客は復活した。国民は、伊勢神宮を宗教施設ととらえず、スピリテュアル テーマパークとして捉えているのだ。だから、それほど目くじらを立てることもないだろう。
戦後の皇国史観否定の嵐も過ぎ去り、いつのまにか、皇室の先祖として祀られたアマテラスが、日本国民の祖先神というように読み替えられ、暗示されるようになった。
こんな有様だから、伊勢神宮を国の施設だと思っている人も結構多いという。

それを見て、「思惑どおりに動いている」と思っている人もいるだろう。
だが、もうだれも日本書紀や、古事記などを教えないし読まない、神話は骨抜きのお話になった。
戦後教育では、皇国史観にまつわる歴史が排除されたので、逆にだれも疑問に思うことがなくなったのだろう。

すごい国民である。カミを政治的に利用しようとした天武天皇以前の本来のカミの姿に戻してしまった。
日本国民の氏神様でもない、そんな理屈を超えた存在になっていく。
あの日本会議や、神道政治連盟、
神道政治連盟国会議員懇談会の思惑も超えていく。
憲法改正案では、天皇の位置づけも象徴から元首に戻すという案が出されている。
天武以来、皇祖神を祀る伊勢神宮は、ますますそのバックアップの働きを増すであろう。

これが日本人の宗教観なのだろうか。ギリシャ的な論理ではない。自然なのだ。

西欧の王も神を権威のバックアップに使った。しかし西洋風の宗教とはまったくちがう。教義もない、自然カミの強さ。縄文の人々の感性が現代にある。

敗戦後、天皇の人間宣言によって、天皇の祖先がアマテラスであるとは否定された。
国家宗教であった神道は、国家から切り離され他の宗教法人と同格の一般宗教法人となった。

これは、GHQが、神道が戦争など狂信的な政策に利用されたことから、指導したものである。

首相ら公人が参拝するのも個人としての信仰として扱われたが、いつの間にか公務であるようなイメージとなり、外国要人を連れてきた安倍首相のように、積極的に利用する政治家もいる。

マスコミも、私的参拝であるかどうかを問うことがなくなった。


地元、伊勢の人たちにとっては、伊勢神宮は朝廷が作ったものであり、本質的な信仰の対象ではない。神宮は生きていくための観光資源である。G7サミットですら、本来の政治意図などお構いなしに、観光、土産など地方の活性化手段としてしまっている。伊勢のカミはそれを見守っているのであろう。

 

その2 平成31年へ
PS:19/4

カミと社会、人とのかかわりの歴史が、そこに存在する。しかも何も雄弁に語ることはないが。