吉本隆明 共同幻想論 | return-of-cd125tのブログ

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 我々世代の思想的騎手のような人の発案したこの共同幻想論というのは、所謂、大東亜戦争の否定から彼が考え出した単純な論理構成から出来ている。

 

あの時、日本人が高揚して起こした大東亜戦争は、正にアジア解放戦争であったわけです。東京裁判の特別弁護人としてして太平洋戦争を弁護した清瀬一郎氏が1955年、NHKのインタビュウに応えて、あの大東亜戦争の本質を看破している。以下、NHKのインタビュウ―。「ええ、実に感慨無量です。ちょうどあれから10年です。私と対峙したキーナンも死んでしまい、10年ひと昔、感慨無量です。



NHKアナウンサー「今度の太平洋戦争の戦争責任について」の問いに対して

「それは私は、キーナン君が徹底的に間違っていると思います。あの戦争が起こった時はですね、自衛ということで起こりましたが、しかしながら起こった以上の結末として、白色人種の東洋制覇、これを解放しょうという考えがあったんですから、その意味で、これを聖戦と名ずけたわけです。当時の軍人諸君がその考えを持っておられたことは良、とすべきであります。」と答えている。

吉本隆明のような、日本の思想界をリードしてきた人間でさへ、大東亜戦争と言う言葉を使わず、アメリカ製の太平洋戦争と言う、まがい物の言葉で満足する、この怠慢さと体たらくが日本の若者を牽引してきたのだから日本がダメになるわけだ。敗戦したからといえ、日本をナチスドイツと同列に並べた戦争観しか持っていなかった戦後日本の思想家というのは全く迷惑な存在でしかなかった。反省ハンセイのマゾヒストたちが闊歩してきただけで、これが進歩的知識人と持ち上げられたおかしな時代だった。

勝っていても負けても日本の戦争目的やその意識は不動のものなのだ。小林秀雄という人はそのことを良く分かっていた。

ウイキペディアより引用