老人の悲哀 | return-of-cd125tのブログ

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先日、近所の大型スーパーマーケットから帰りの車上から、前方の道路わきの電柱の手前に灰色の長い物体が見えた。なんだろうと、通り過ぎバックミラーを見ると老人がうつぶせに倒れている。

これは大変だと思い、車から降りて、その老人にどうしたのかと尋ねると、意識のはっきりした口調で、自分でこけたのだと言う。
で、その爺さん、うつぶせになったまま口当たりから血を流しながら、家に電話してほしいという。

それで、この爺さんの言う電話番号に電話するも誰も出ない。

このまま放置しておくわけにはいかないので、救急車に電話をかけようとするも、119という番号が思い浮かないばかりか、090994というようなわけのわからない番号にかけていた。

そうこうしているうちに、後ろから小型スクーターに乗った、30過ぎ位の若い男が下りてきて、私は警察ですと言いながら、この場の状況を把握しょうとする。(勤務を終え家に帰る途中の私服警察官)

この場合、人が倒れ、そのすぐ前に私の乗っていた車があるとすれば、これは私がこの老人を轢いたと考えるのが警察官の習性というものだ。

そんな嫌な感じの最中またしても、後ろから来た車から中年の女性が、私は看護師ですと降りてきて、じいさんに毛布をかけてくれた。

なんとまあ御ぜん立ての良いシチュエーションであることこの上ない。

警察官は交通事故と勘違いしたのか、すぐさま警察本部に連絡していた。

その間に,その警官は私に救急車を呼ぶように私に則したのだが、その番号がわからないので,何番ですかと尋ねると119番ですという。

それで私の携帯から119に電話したつもりが、110番だったらしい。なんか変だなと思いながら、掛け終える。
そんな連絡が一段落した後で、警察官が老人に事情を聴いたところ自分で転倒したのだと告げた。そのうちにじいさんのポケットのスマホに家族の女性から電話がかかって来た。

看護師がそれを取り出し、爺さんが事情を話す。じいさんが道でこけたと話すと、またこけたん?という関西弁の会話で私の無実が更に明らかになった。

その後警官は救急車を呼んでくれましたかと私に尋ねるので、いや、まだですと、自分でも混乱した状態で答える。警察官は呆れた顔をして私を見るのだが、先に救急車を呼ばなけりゃならんのはあんたのほうだろと、後に気が付いた。
 

それにしても人助けとは大変だ。かと言って、黙って通りすがるというのも情がなさすぎる。

あの爺さん、警察官も看護師も来ないで、しばらく待っていれば、救急車に運ばれることもなく家族が迎えに来て何とか自宅に連れ帰り、その後病院に連れて行ってもらえたのかも知れない。
何とも言えないが、とにかく爺さんは、うつぶせに倒れたまま立ち上がろうとするも立てなかったのは何処か骨折していたのかも知れない。やはり救急車が必要だろう。あれから20分もすれば救急車は到着しているだろうから気に病むことはない。

80から90歳くらいの年寄りだが、私だってあと10年もすれば,そんな歳になる。