この古都の町はずれの住宅、工場、田んぼの混在した道路の歩道を、身長2mを超えるかのような黒人男性と,170cmくらいの女性が子供を連れて歩いていた。
私たちが見た子供の頃の映画やテレビではありえない光景だ。黒人はいつも召使か、白人に鞭で叩かれている印象しかなかった。
そんなアメリカが1960年代の公民権運動などで黒人やインデアンの人権を認め始めてから、映画やテレビで黒人たちが主人公のドラマが生み出されるようになった。
コロンブス以来、白人たちが絶対権力を持っていたアメリカの、この革命的な変化が、とてもアメリカの内部から表れたとは考えられない。
国際連盟で人種差別撤廃法案を出した日本に危機を感じたアメリカのウイルソンの強権でこれを否決したことが引き金で日本は大東亜戦争に突入したたと言って過言ではない。
もとより、共産主義には人種平等の概念はないので、これは日本の戦争目的が達成されたのだろうと考えざるを得ない。皮肉なことにアメリカの望まない、日本人が望んだ世界が現出したのだから。
それと日教組が目指していたのは一党独裁政治の地獄という恐ろしい社会なのだ。その思想には人種平等など眼中にはないのだが、彼らは夢のような世界をそれに期待していたのだ。愚かとしか言いようはない。
この当時の日本はソビエト赤軍の指令で安保闘争に精を出す学生運動家とアメリカ公民権運動に触発された学生たちが入り乱れていた。いわゆる、ノンポリという学生たちも反戦運動という、暗に大東亜戦争を徹底否定する共産主義者たちのプロパガンダーとして利用されていたのだ。
やがて、その学生たちが教員となり日本の教育を支配することになる。そして、日教組教育に牛耳られた学校は共産主義的精神に蝕まれ、現在の阿呆な大人と子供たちが生成されてきたというわけだ。
いまだに独裁共産主義国家を目指す日本赤軍の生き残り、重信房子の若いシンパたちが増え続けているというのだから、日本という国がますますわからなくなる。