ある関西の旅館に、5年に一回あるか無しの家族旅行で泊まった時、お正月番組の収録で志村けん、桂ざこば他、お笑い芸人一行が,この旅館に来ていたのに出くわした。湯上り浴衣姿の私は、あのおもろい志村がここに来るというアナウンスを聞いて喜び勇んでロビーに出た。入り口の大広間で、志村けんが旅行客の女の子二人にせがまれ、写真を撮らせてあげていたのを見て、それじゃ俺もと、すいません!一枚お願いしますと志村けんの前に歩み寄ると、彼の表情は一変した。その女の子達の時のにこやかな笑顔は消え失せて、みるまに、冷たい無表情な顔に変わって行くのが解った。。そして彼は、突然の闖入者である、私の足もとに視線を落とし、下から上に向かって、スローモーションな、目はうつむけたままの顔をゆっくりとあげながら、頭を少し傾けて、何だこの野郎とでも言いたそうに眉を曇らせ、威圧するような目で私を見た。私は何が起きたのかわからず、しばらく呆然としていた。これを見ていた、まわりの客たちも唖然とし、その間凍り付いたままでいる。この気まずい雰囲気の中、私は家族とともに自室に戻った。写真一枚お願いしますと言ったくらいで、あの大げさな周りを凍らせるような態度は一体何なのだったのだ。お笑いの好きな私もさすがに”ダッフンだ”のギャグは出てこなかった。彼もあれを私が言っていたら笑ってくれていただろうなどと夢想している。人生、、袖で触れ合うも他生の縁というが、彼のようなお笑いの天才に、目の前で、迫力の演技を見せてもらい、感謝の一語に尽きるのだろう。いい思い出を有難う、志村けん。とでも言うべきか。 後日談、その後、次の年のお正月に、そのロケが放送された、志村と、ざこばが対談する中、ざこば師匠が、何で写真ぐらい撮らしったらへんの、ええやんかと志村に問うと、関西には変な人が多いよねと返して言った。志村にとって私は”変なおじさん”だったんだ、ということで妙に納得した。でも、よく考えて見ると、彼が面白いわけではなく、彼の演技が上手いから面白いのであって、それはそれでいいのだろう。私の勝手な思い込みが、彼を傷つけていたのだろう。 舞台や、テレビの虚構の中が志村の全世界であって、現実世界は惨めで、面白くもなんでもない世界なのだ。魚が陸に打ち上げられアップアップしているようなものなのだろう。同じく、男はつらいよの渥美清なども私生活は絶対見せようとしなかった。寅さんも、バカ殿もテレビや映画の中でこそ水を得た魚なのだ。私のような現実と夢との境にいる変なおじさんはついつい、深入りしすぎてその境を超えて超えてしまう。見ず知らずの変なおじさんにいきなり写真を一枚一緒に撮ってくれと言うわれりゃ、そりゃ怒るのも仕方ない事だった。田舎の田吾作が、バカ殿に無礼打ちにされる一コマでござんした。 それじゃ、バカ殿様、道中お気を付けなさっておくんなせい。あっし、もじきに追っきますんで。