なんだかの言いながら自民党のパワーは強力だ。これに対抗してかって民主党が発足したのだが、自民党のパワーには及ばなかったようだ。恐らく、真に仕事師内閣ではなかったからだろう。上部だけの数合わせの烏合の衆に過ぎなかった。官僚主導の政治を国民の手に取り戻すというものだが、一応は官僚も頭のいい国民の一人一人だ。国民の安全と繫栄を望まぬはずはないだろう。今の所、官僚と自民党の結びつきは離れがたく、利害は一致している。ある意味、国民の大多数の利害とも一致している。異を唱える者は頭の悪いマスコミか、共産主義者に先導されたプロ市民達だけだ。自民党がこれだけ長続きしているところを見ると日本人の国民性がそのまま、この政党に反映されているという事だろう。忖度、和を以て貴しとなすは自民党と日本大衆の習性だ。日本国、そのものと言っていいのだろう。民主党時代とは頭のあまり良くない一般大衆が政治をやろうとした失敗例として証明されたという事になる。日本の官僚の頭の良さに対抗、若しくは同調出来るのは今の所、自民党以外にはないのだろう。 しかし、どの政党が政権を取ろうと、日本人が東京裁判史観、敗戦自虐史観の枠内で行動する限り、精神的奴隷状態から来る心の暗黒から永遠に逃れることはできない。目に見える、少子化や老人大国、貧富の格差などの現象面は氷山の一角であって、その下には敗戦自虐史観という巨大な氷が深層に横たわっているのだ。日本人の一人一人の人生の大部分が敗戦自虐心で占められているわけだ。アジア解放史観の浸透こそ日本人の病理を癒すことができるのだ。それは、日本人の死生観にも深く関わるものだ。