私が生まれたのは1953年、前年の昭和27年4月29日の主権回復まで、日本はアメリカの統治下にあり、日本ではなかった。終戦が昭和20年8月だから、実に7年間に亘って、日本はアメリカの好き放題にされていたことになる。この長きにわたる占領統治の間に、戦争犯罪である2発の原爆を戦前、日本に投下したアメリカは、日本上陸後、恥知らずにも無抵抗の婦女子を野獣のごとく襲いその、うら若い女性たちの人生をも奪った。しかも、アメリカ軍、政府もこれらを黙認、手を貸した。戦後も戦前も彼らキリスト教徒たちはキリストに顔向け出来ぬ大罪を犯したことになる。この野蛮な軍隊を日本共産党員たちは解放者と喜び、自ずからも、これら、犯罪者たちと共に日本を犯罪国家に仕立てゆき、今も日本にのさばっている。 また、このような野蛮国家に与えられた民主主義や日本国憲法を正義のものと言えるのだろうか? これらを受け入れた時から日本はすでに、亡国の道を歩んできたといえるだろう。 そして、このような日本をみるとき、私は生まれて来なかった方が良かったと思う。 天皇陛下!今度は本土決戦をいたしましょう! 私はなぜか、この大人びた歌を小学生のころから、よく口ずさんでいた。 つい、2、3年前に80歳になる家内の母親が小学生のころ、ここ古都のメイン通りを多くのアメリカ兵が闊歩し、若い女性を手当たり次第に皆、連れ去っていったと明かしてくれた。それは、娼婦ではなかったという。 今はそんなことが実際にあったとは、ほとんど誰も知らずに、観光客のアメリカ人もかってあった残影の残る、その同じ道を歩いているという残酷物語だ。