よく、日本人の民主主義はアメリカから、戦後与えたられたもので、西洋のように民衆が革命で勝ち取った歴史のあるデモクラシーという観点からすると、豚に真珠という言われ方をするが、西洋のデモクラシーなんてものは日本が大東亜戦争で、白人から勝ち取った人種平等の重さから言えば屁のようなものだ。大東亜戦争前に、白人以外の有色人種にも民主主義が適用されていたのか?そんなことは皆無であったことは誰もが知っている。大東亜戦争以降、人権だとか性差別だとかヒューマニティだとか白人国家のメディアが毎日、盛んに報道しているが、どの口が言わせるのだ。戦前、てめーらのやっていたことと言えば有色人種の性奴隷、レイプ、奴隷商売、植民地でのカツアゲ、あらゆる悪行の限りを尽くしていたくせに、偽善もいい加減にせい!ついでに、日本共産党!革命なんてものは人種差別主義者の白人のアイデアだ、革命には平等と言う概念は元々ないのだ。要するに、権力闘争というものが果てしなく続き、安らぎなどないという事だ。ソ連、中共を見ろ。それは、対外的には、領土拡張の野心となって表れ、独裁者を生む。日本の天皇のどこが独裁だ! どこの国の独裁者が民のために祈り、民の釜土を気にかける?天皇の誕生以来、日本には民主主義が既にあったというべきであろう。西洋でいうヒエラルキーのようなものではなく、貴族は貴族の分をわきまえ、民は民の分を弁えていたという事なのだろう。今日でいう安物の平等というのではなく、それはそれで満ち足りた世界であったのであろう。現代まで、当時の宮中の生活の様子や物語が残り、今でも現代人に読み継がれるということは、共産主義者が言う、暗い日本の過去という断定は彼らの想像力のなさを露呈しているに過ぎない。要するに、彼らの心が暗く閉ざされているだけだ。彼らの前頭葉には権力闘争と富の分配しかない。、要するに、白人国家秩序のマネー崇拝のイデオロギーの範疇からはぬけだせないでいるのだ。日本の天皇の威力というものは人類の危機に面した時しか発揮されない、この、大東亜戦争がそうだ。幕末に世界が白人国家によって席巻されそうになった時、江戸幕府は大政奉還と言う形で天皇を求心力として白人国家に対抗すべくシフトを変えた。大東亜戦争への道はそこから始まったのだといえる。日本の神が荒ぶる神に豹変したのである。キリスト教のように愛を説きながら、インデアン皆殺しのようなことをする神のことではない。日本の神が荒ぶる時には白人にも有色人種にも大きな犠牲を要求したのである。そして、白人の止めどなく、抑制の効かない人種差別を停止させたのだ。しかし、これは日本人が行った戦争というよりも日本に太古から脈々とつながる自然崇拝、宇宙信仰のような力(神)が日本人にやらせた戦争だったのだろうと思う。だけど、日本という国が果たした役割という真実は押えておきたいものだ。