ビックバン | return-of-cd125tのブログ

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私の少年の頃にはビックバンという宇宙用語はなかった。よくは分からないが、宇宙が突然、爆発によって生まれたということなのか、今の宇宙科学で計算すれば、その理論が導かれるという。しかし、その爆薬を仕掛けたのは何者なのだという素朴な疑問が湧いてくる。そんな疑問は持ってはいけないと言われれば仕方ないが。ところで、私について考えてみると、生まれる前のことは覚えてはいない。だが、ある日突然か、徐々かは分からないが物心がつく頃に自分の存在というものを確認できたわけで現在に至るわけだが、しかし、自分は自分だから自分の事をすべてわかつているかと言えば、何もわからない。ただ、社会的存在の一部としてしか認識できていないわけで、社会、或いは家族からお前のことなんか知らないと言われれば自分が自分であるという証拠もアイデンティティもすべて消え去るわけだ。ただの腹をすかせ、飢えたおっさんが野垂れ死に寸前という自己が確認できるだけというわけだ。ただ、その脳内には昔の思い出だけがメモリーされていて、それだけが、ある時期存在していたということを証明してくれるのだろうが、それも、やがて肉体の宿命として抹消されるのだ。その時に現在見ている宇宙も同時に存在できなくなるとは誰にも証明できない。宇宙の始まりがビッグバンであろうがなかろうが、宇宙は私とともに消滅する。私の宇宙も修行を終えるのだ。なにを求めようとも何も得ることができるわけではないということを悟るのだ。夜の銀河をのぞき込んでいると、思わず我を忘れて、その暗くて明るい空間の中に吸い込まれてしまいそうな感覚を持つ。今は視力も落ち、故郷の昔のようなミルキーウェイも、こんな町の中では見ることができない。故郷の静まり返った無音の宇宙に星々がざわめいているのを体が冷え切るまで見つめているのが好きだった。