共産主義者 | return-of-cd125tのブログ

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 題名とは関係ないが、長野行きの 学生を乗せたスキーツアーのバスが 横転し、14人の死者と26人の負傷者を出した。犠牲者には哀悼の意を表するのみだが、旅をするのは、昔から、命がけ、永の旅へ行ってしまうことも多いのは、昔の人は好く知っていた。山賊が出たり、病気になったりして帰って来れないことは、覚悟していたのだ。ましてや、夜道を 疲労困憊した、とうに定年の歳を超えた、65の運転手さんだ。私の感覚では80パーセントの確立で、この手の事故は起こりうると思うのだが。バスという、あのでかい乗り物も、いつ、大きな棺桶に変わるか分らないのが現代の機械文明であり、交通文化、ハイテク時代なのだ。原発に限らず、この世は危険がいっぱいだ。人類は猛獣から身を守る為に、斧や槍、弓を作る事によって繁栄して来た。そのことは、すでに、その時点で、自分たちをも害するという、矛盾した世界に足を踏み入れることを意味していたのだ。これを否定するためには、人属人科をやめて、裕福な家の猫にでも生まれて来なければならない。

  裕福と言えば、日本における、共産主義者の原初的発想というのは、単純に、俺は貧乏だから、お前も、俺と同じように貧乏になれ、あるいは、ならなければならない、という論理から来ている場合が多いと思う。単なる、やっかみ、嫉みだ。そもそも、そういう発想では、幸せにはなれない。共産党や民主党、社民党などは、そういう大衆心理を上手く利用して、票を集める。彼ら議員たちは、会議だ会合だと言いながら、私よりも優雅で、華麗な議員生活を満喫しているのだ。中国共産党の手法によく似ている、ただ、粛清、殺害されることは稀だから、余計に力を増すのだ。そして、日本が、貧乏国になるのを、後押ししているのだ。一方、日本の長者と言われる人たちも、国のためとなると、金を出し惜しむ。けちな野郎の集まりだ。昔の豪商といわれる人たちの面影さえない。スコットランド生まれだったか、かのアンドレー.カーネギーは、貧しい移民から身を起こし大富豪となったが、金持ちのままで死んでゆくのは、恥ずべきことだと言って、カーネギー財団を創った。多額の寄付も惜しまなかった。  
 戦後の日本には雑魚しか出て来ないのは、やはり、敗戦史観という泥沼から抜け出せない、誇りを失った、ゾンビのような日本人が、多く犇めいているからだろう。 ああ、やんぬるかな!