年の暮れは 家内や娘と紅白歌合戦を見た。こう見えても芸能界には詳しいほうかも知れない。今年は森進一が紅白卒業ということらしい。最後の曲は お袋さんで終えた。彼ほど成功したと思える人も親不孝したと後悔しているのだろう。しかし あの歌は作詞家の河内康範氏に お前にはその詩を歌わせないと釘を刺されたにも限らず 詩ってしまうのだ。私は森進一の あの全身全霊を込めた彼の歌い方が好きだった。どこか悲壮感漂う詩が多いのだが彼の人生も それに似て不運さを感じさせる。五木ひろしの歌唱力はずばぬけている。彼は歌を唄う為に生まれてきたのだろう。石川さゆりもデビューで躓いたり離婚を経験しているが歌手であることを満喫しているようだ。運の良い歌手は不思議に曲に恵まれるようだ。一方 テレサテンのように才能に恵まれた歌姫もいたが寂しい晩年であった。2 3曲のヒット曲で歌手人生を謳歌している北島三郎 千昌夫などは運の強さだけで生き抜いているのだろう。小林幸子などは 想いで酒であれほど永くやっていけているのは運以外の何物でもないだろう。いずれにしろ 私には 今風の説明調の詩は分からない。斬新さがないのだ。名曲と言われる詩には ほとんど同じコード進行が多い。例えば ウィスキーがお好きでしょうは 枯葉と曲調がよく似ている。少し違うが ベートーベンの運命と津軽海峡冬景色の前奏も似ているところがある。ニューミュージックとして台頭して来た団塊 あるいは 少し過ぎた人たちの詩も嫌いではないが 彼らのの甘ったれた思想が嫌いだ。吉田卓郎なども その代表だ。井上陽水の詩も教科書に乗ったり その研究者もいるくらいだから 才能はあるのだろう。だが所詮 エンターテイメントだ。思想界や政治にでしゃばるなと言いたい。ピカソを気取るな 坂本龍一 電気を使わずに生ギター 一本で演奏するべきだろう。オピニオンリーダーを気取るな。電気を使うテレビに出るな。屋根ソーラーだって電磁波が頭上から降り注いで来るぞ。本当に団塊世代 昭和一桁世代は何も知らない人が多すぎる。戦後の日本を支えてきたのは自分たちだとおもっているが 実は戦前の大正 明治生まれの人達が日本を押し上げてきたのだ。日本の衰退が始まったのは 戦前の教育勅語を知らない世代が一線で活躍しはじめてからだ。かっての日本人は 今のグローバリズムを連呼する日本人よりも遥かに日本の立ち位置を把握していたのだ。今の日本人の世界認識のレベルは幼稚園児並みというところだ。