先日、身内が永眠いたしました。
忌中のため、新年のご挨拶はご遠慮申し上げます。
賑やかなことが好きで、派手好きで、でもって寂しがり屋な人でした。
送別会が終わった夜、泥のように眠りました。
朝、目が覚めたときのことです。
「苦しい、苦しい。」
私自身がそうつぶやいた声を聞いて、目が覚めました。
妙な感覚でした。
感じたことのない恐怖。
どうしようもないという不安。
なんだか自分の苦しさじゃないような。
誰かの言葉を代弁したような。
…そうかい、おばあちゃん。
死ぬとき、そんなに苦しかったんだね。
天国に上る前に、死の苦しさを教えてくれてありがとう。
よくわかったよ。忘れないから。
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ひとつ気付いたことがあります。
自分の死を目の当りにしたとき、自分の意識がはっきり認識されます。
今から死ぬのだと。
自分が何を思っているのか、強く意識します。
この意識が苦しく感じるのです。
病気やケガをしたとき、すごく痛いでしょう?
痛い。早く治したいと願う。自分の身体を大事にしていなかったんだと落ち込む。
この落胆と不安感がつらい。
身体は自動的に治そうとします。しかし、落胆の意識がつらい。
それと同じです。
自分の意識を苦しく感じているのです。
***
偏見や決めつけをすると、相手を意識しなくて済みます。だから苦しくない。
論理や正論だけをふるうと、感情を意識しなくて済みます。だから苦しくない。
叱責だけすれば、自分を意識しなくて(棚に上げるだけで)済みます。だから苦しくない。
すべて自分の意識を【抑圧】しているということです。
【抑圧】は一時的にココロを守るのに有効です。
しかし【抑圧】を続けるといつかココロが爆発します。
爆発を避けるために、他者を貶める行動でまぎらわせたりね。
よくない!ですからね。
自分の意識はできるだけ普段から意識しておくことをおすすめします。
そうすれば、いざというときいたずらに苦しまずに済みます。
なんのことはありません。
「今日は天気がいいなぁ。気持ちいいな。」
「木ってさ、触ってみると温かいよね。不思議だね。」
「病院の待ちは長い。イライラするなぁ。」
自分の意識を普段から認識する練習をしておくということです。
気持ちいいと感じていいんです。
イライラしていいんです。
今感じている意識を邪険にすることなく、末永くお付き合いしていくイメージです。
それが、自分を知るということだと【今】の私は思っています。
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死ぬこと自体は苦しくありません。
死ぬ恐怖と不安が苦しく感じるのです。
人間は、死ぬことが怖いと感じるようにできています。
どれだけ悟りを開いた人でも、死ぬときは怖いと感じます。
悲観的になっているわけではありません。
楽観的になっているということでもなく。
そういうふうにできている。
それだけです。
「死を恐れることはない」という言葉は、自分の死が遠いからそう言えるのです。
もしくは他者の死のことを語っている。
ちょっと展開させて。
「失敗を恐れることはない」という言葉も、他者の失敗のことを語っているのです。
自分の失敗はやっぱり怖いものですよ。
「死を恐れるな」ということも、
「怖さに慣れろ」ということも、
「失敗を恐れるな」ということも、
私は言いません。
ビビりながら生きればいいんです。
ほんと、それだけ(笑)。
「死ぬことが怖い」と思いながら生きればいいんです。
恐怖を【否認】しない。
恐怖を感じながら、自分に合った生き方を選択すればいいのです。
私、ヘタレです。
ヘタレなりにできることはあります。
それをやればいいんです。
ね?ほらほら。自分を棚に上げているでしょう?(笑)。
人に語るとやる気でるからさ。
ブログもYouTubeもFaceBookもTwitterもセミナーもぜーんぶ同じ。
人に語って自分のやる気を出しているの。
たいていの人はそうだから。
でもってそれは、何もおかしなことではないから。
普通だからー!!
死ぬことが怖いと感じるのも、ふ・つ・う です!
***
おばあちゃんは、天国に行くときも、私に何かを教えようとしてくれた。
「オレは守られているなぁ。ありがたいなぁ。
気づかないオレもバカだったなぁ。気づけて良かったわ。」
ありがとう、おばあちゃん。
あなたの存在は私のココロにたしかに生きています。
あなたに教わったことを胸に、私は生きていきます。
いってらっしゃい、おばあちゃん。
以上、乱雑に書きたいことを書いたった!
今回はもう、編集とかしません(笑)。
h2タグとか今回はいいや。
役に立つ記事じゃなくてもいいや。
書いてすっきりしたわ。
すっきりさせてもらったわ。
ほんとに多くの人にすっきりさせてもらったわ。
ここまでご覧いただいた皆さま、ありがとうございます。
来年もよろしくお願い申し上げます。