性格診断などでよく見かけます。
「あなたは感情派」「あなたは論理派」というクラスタリングです。
どちらが正しいのか、という議論にはあまり意味がありません。
どちらもアリだからです。
人間には感情と論理、どちらも備わっています。
その人にとってどちらのほうが優位であるか、というだけです。
よって、両者に勝ち負けはありません。
…と、言いたいのですが。
往々にして、論理派の意見がまかり通ることが多いでしょう。
よって、論理派のほうが強いイメージがあります。
これには理由があります。
…
感情は見えにくいが、論理は見えやすい。
よって、論理派が勝ちやすいのです。
論理は数値化できます。
「収益が出ていないのだから、この事業の継続は望めませんよね?」
そう言われるとやっぱり、『うっ…。』となるもんです。
感情や情熱で以て、「この仕事を続けたい。私の人生の使命だから。」と言ったとしても。
「いや、数字出てないじゃん。続けて意味あるの?」と言われたら、なかなか言い返せない。
というか、言葉では伝えきれない。
感情や情熱は、見えにくいからです。
可視化しやすい論理のほうが言葉にしやすいので、説得力があるのです。
その論理の説得力を利用されて、言い負かされるのです。
……
「みんなが好きなことをやったら、社会が回らなくなる。だから我慢しなくちゃいけない。」
よく聞くフレーズですなぁ。
日本は多種多量生産で以て、経済を発展させてきました。
大量に作り、大量に消費する。
結果、通貨が流通し、経済が発展する。
まさに、資本主義。
大量に生産するには、大量の労働力が必要になります。
多くの人材が、大量生産に従事する。
資本主義は生産し続けることが使命ですから、多数の人がひとつの仕事に従事することが、資本主義社会、すなわち日本の社会を支える基盤となり得ます。
そのような基盤があるのに、みんなが好きなことをやっちゃったら、日本社会が崩壊するじゃないか。今の生活がなくなってもいいのか?
だから我慢しなくちゃいけないんだよ!
うんうん、理屈が通っていますね。
…で、この理論の一歩先は?
………
日本は資本主義社会であるのと同時に、自由経済社会でもあるのですよ。
どんな仕事をするのかは、国民が自分で決めていいんです。
税務署に行って、届出を1枚提出すれば、現代では誰でも事業主になれるんです。
自由経済であるということは、自由競争でもあるということです。
例えば。
みんなが好きなことをやり始めて、人材が大量に流出し、ひとつの大企業がなくなってしまったとしましょう。
なんでもいいんですが、例えば、化粧品企業とか。
…なんでもいいんすよ。化粧品をディスってるんじゃないですよ(笑)。
すると、ほぼ100%の確率で「新規参入者」が現れるのです。
化粧品業界は、大企業を失ったため、一時的に化粧品の流通はがくんと落ちるでしょう。
しかし、化粧品を扱う企業は、その大企業「リーダー」だけではありません。
「リーダー」を追う「チャレンジャー」企業が存在します。
「リーダー」を模倣してきた「フォロワー」企業もあります。
「リーダー」と戦略的にぶつからないようにしてきた「ニッチャー」企業。
そして、「新規参入」企業です。
リーダー以外の企業は、これ好機!とばかりにどんどん流通を増やす方針になると予想できます。
新規参入企業に投資する投資家も現れるでしょう。
業界の大部分がブルーオーシャンになりつつあるのなら、儲けたい人ならすぐさま行動するでしょう。
だって、儲かりそうなんだもん。
さらに、リーダー企業の倒産要因の轍を踏まないために、今までの労働システムから新しいシステムに置き換わるでしょう。
大企業が労働システムを変えようと思ったらとてつもないパワーが必要です。
その点、中小企業や新規参入企業ならフットワークが軽い。それが強みです。
今まで100必要だった労働力が、30で済むようになった。
あとの70は機械に置き換わった。
あとの70の人は好きな職場に変わってもよくなった。残りたい人だけ残ればいい。
生産量と流通量は旧来と変わらない水準まで戻った。
需要と供給のバランスは、時間が経てば戻ろうと作用する。戻るんです。
人間は、戻そうとします。
【ホメオスタシス(恒常性)】の力があるからです。
よって。
「みんなが好きなことをやったら、一時的に生活に影響が出るだろうけれど、気が付いたら元の水準に戻っている。」
社会はそう簡単には崩壊しない。
みんなが好きなことをやり始めても、なんだかんだと言って、社会は回ります。
ですので、我慢しなくちゃいけないってことはないのです。
…………
なんだか細々と書きましたが、何が言いたいのかと申しますと。
論理を「ありそう」な形にしておき、論理の説得力を使って、相手を支配しようとする。
そのような心理作用が存在するということです。
このような心理作用をなんというのでしょう。
…名前は知りませんが、たしかにあると思います。
目的は「相手を支配する」ことであり、手段として「ありそうな論理」を使っているのです。
上の例で言いますと。
「我慢させる」ために、「ありそうな論理」を持ちだしているのです。
我慢する理由は、仕事や資本主義が云々ではないのです。
別の理由なのですが、それは言えないのです…なんらかの訳があって。
「ありそうな理論」は、本人が意図的に曖昧にしていることもありますし、無意識的に曖昧にしていることもあります。
いずれにせよ、「相手を思い通りにコントロールする」ことが目的です。
……………
「相手を思い通りにコントロールしたい」理由は、
「自分の不全感を他者で埋めようとするため」であることがほとんどです。
「自分は足りていない。まだまだなんだ。無力な人間なんだ。無力感がもう、つらくてたまらないんだ。」
「機械に取って代わったら、自分は捨てられるかもしれない。不安だ。見捨てられたくない!」
「オレは、家族のために…(これ以上は書きません。もうおわかりでしょう。)」
このような感じです。
無力感や見捨てられ不安、すなわち、自分の感情に苛まれてしまっている状態です。
これはつらいですよ。
自分の感情が邪魔なんだって、そう思ってきたのかなぁ。
それはつらかったでしょう。
もう、楽に考えようじゃあーりませんか(チャーリー浜風)。
論理的に考えられる力があるのだから、自分が楽になるように論理を使いませんか?
わざわざしんどい考え方しなくていいじゃないですか。
楽になっちゃえよー。もったいないよ、せっかくの頭脳が。ねぇ?
論理に感情をくっつけてください。
感情を味方につけてみてください。
論理 or 感情じゃなくって。
論理 and 感情にしちゃいなよ。
楽になるから!