私が今、最も大切にしている矜持が、「自分と他者は違う生き物」です。

 

この考え方は、今や広く浸透しつつあります。

ただ、この言葉だけだといまいちピンとこない感じがするので、もうひとつ付け足します。

 

似ているということは、違うということです。

 

両者は違う人

 

マナカナとか、ザ・たっちとか。

今だったら有名な双子タレントは誰になるんでしょうか。

 

ともかく双子は、見た目がそっくりです。

考え方やしぐさもそっくり。発言がハモったりすることも多々ある。

同じ人を好きになることもあるんでしょうか。

 

…しかし、両者は違う人です。

 

兄弟も同じです。

同じ環境、親の下で育った。

 

…しかし、両者は違う人です。

 

その辺を歩いている人は自分と同じ人間です。

 

…しかし、違う人です。

 

ただ、見た目が似ているというだけです。

まったく同じではありません。

 

人それぞれ違うように感じている

 

昔、このようなことを言った人がいました。

 

「同じ景色を見ているんやから、みんな同じに見えるはずだ。」

 

…んなわけないやん!!

 

同じ青空を見ている。

その人は空は青く見えるでしょう。

私にも青く見えます。

しかし、相手の「青」と私の「青」は、果たして同じでしょうか。

 

相手の目を私に挿げ替えて青空を見、「青い」のなら同じ「青」でしょう。

それができない限り、同じに見えるとは言い切れません。

「淡い青」かもしれないし、「濃い青」かもしれない。

 

猫には、青空が「赤く」見えているかもしれません。

それは、猫の目を拝借するしか確認する術がありません。

それができない限り、同じとは言えません。

 

同じ「よう」に見えるのです。

似たように見えるのです。

よって両者は、同じに見えているとは言い切れないのです。

 

ひとつのモノを見ていても、見ている人それぞれが、違うように感じているのです。

 

 

***

 

 

「オレの価値観を受け入れろ!」

「うちのルールに従え!」

と、半ば脅迫的に言ってくる人が押し付けがましいと感じたことはないですか?

怖く感じたことはありますか?

 

それはまったくもって普遍的な感覚です。

おかしくない。

 

おかしくないです。

 

メンタルが好調な証拠です。

 

自分だけのユニークな存在

 

似た価値観を持った人とおはなしすると、とても楽しいです。

 

楽しいのは、

同じ価値観を持った人たちが、同じひとつのモノを価値あるモノと共有して歓びを分かち合ったから…ではありません。

 

似た価値観(つまり違う価値観)を持った人たちが、同じひとつのモノを価値あるモノと共有して歓びを分かち合ったからです。

 

似た価値観を持った人たちが集まっても、必ずズレが生じます。

そのズレを共有しやすい人たちが集まっているから、楽しいのです。

 

つまり、元々違う価値観を持った人たちなのです。

似ているというだけ。近しいというだけです。

お互いが少しずつズレているから、楽しいのです。

 

ズレがなかったら、全然楽しくないですよ。

 

私たちは、自分だけのユニーク(唯一)な存在です。

誇っていい。

楽にしていいんです。