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9.11



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ハリド・シェイク・モハメド(英:Khalid Sheikh Mohammed、アラビア語: خالد شيخ محمد‎、 Khalid Shaikh Muhammad)は、ウサーマ・ビン=ラーディンのアル・カイーダの幹部。1999年からは対外宣伝を担当するが、甥のラムジ・ユセフとともにアル・カイーダの爆弾テロ(世界貿易センター爆破事件、バリ島爆弾テロ事件、ボジンカ計画など)に関与した。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の起案者とされ、2007年、ウォーターボーディング(水責め尋問、脚注参照)の後に、これらの容疑を認めた。2010年5月現在、アメリカ同時多発テロ事件起案容疑にかかわる審理は、一般法廷においても軍事法廷においても開始されていない。

2003年3月、潜伏中のパキスタンのラーワルピンディーで、アメリカの諜報機関に支援されたパキスタン統合情報局(ISI)によって逮捕された。 2006年、グァンタナモ米軍基地に移送、収監された



lenojesca


現在のイラクの様子簡単に


イラクは、国際基準に違反して裁判なしに推定30,000捕虜を保持している


イラクへの彼の投獄の息子を助けるために、行ったが逮捕され、拷問される。



イスラム原理主義とは日本では過激派といわれている。↓歴史的背景



1980-90年代以降のイスラーム原理主義の復権

 1979年にイランで革命が起こり、81年にイスラム教シーア派の聖職者による統治体制が誕生して以来、イスラーム原理主義の波は各国を次々とあらっていきました。アフガニスタンでは、ソ連の撤退以降、スンナ派のイスラーム原理主義勢力が支配しましたが、四分五裂し内戦が継続しています。トルコでは、イスラーム原理主義政党が議会の多数を占め、一時は内閣を掌握しました。スーダンでは、政権を確保した軍の指導者が特殊な立場のイスラーム聖職者に導かれることによって、イスラーム原理主義を標榜する政権へと変貌しました。最も悲惨なのはアルジェリアでした。複数政党制の選挙で最大多数を確保したイスラーム救国戦線が、原理主義政権の樹立を恐れるフランスと軍部によるクーデターによって徹底弾圧され分解、虐殺が相次ぐ内戦へと突入します。
 ここで注意しなければならないのは、イスラーム原理主義というのは、長い歴史と大きな広がりをもったものであり、当然ながら、そこには様々な思想的系譜があって、決して単一のものとして評価することは出来ないということです。評論家などのなかには、リビアのカダフィ政権やイラクのフセイン政権とイスラーム原理主義の区別すら付いていない人がいますが、前者は世俗主義、後者は宗教主義であり、この二つは根本的に対立しあうものです。
 また、アルジェリア内戦において、村落の無差別虐殺作戦を繰り返し数万人の命を奪った「武装イスラーム集団」はイスラーム原理主義とされ、イスラーム救国戦線と同一視されることがありますが、現在では、「武装イスラーム集団」はむしろアルジェリアの軍事政権を牛耳る支配的軍人たちとつながり、イスラーム救国戦線側の村を集中的にねらっていたことが、ほぼ明らかにされつつあります。また、アフガニスタンのタリバーン政権は、イスラームと現地のパシュトゥーン人の風俗習慣とを混淆させた独自の宗教観に基づく勢力であり、イランの現体制とは水と油の関係にあります。「イスラーム」=「テロ」といった短絡はもちろん、「イスラーム原理主義」=「テロ」という短絡もすべきではありません。イスラーム原理主義は、各地域においてそれが根ざす社会構造、経済状況、イデオロギー状況によって大きな差異をもっているのであって、こうした差異を把握しないままに「イスラーム原理主義」の「テロ・ネットワーク」などといった詐術的言辞に惑わされてしまうと、紛争予防の最も基本的な処方箋を書くうえでも、大きな誤りを犯すことになります。


↓( 岩井洋 関西国際大学教授 )


現代のイスラム世界を、『クルアーン』(コーラン)の教えに従ったイスラム共同体(ウンマ)の本来あるべき姿ではないとして、イスラムの原点に回帰しようとする運動。イスラム原理主義は、過激派やテロリストであるというイメージが流布しているが、これはむしろ欧米ジャーナリズムによるレッテルであり、この運動全体が必ずしも戦闘的であるわけではない。そのためイスラム研究者の中には、原理主義という言葉を避け、イスラム復興主義やイスラム主義(Islamism)という言葉を使う人もいる。また、イスラム原理主義の戦闘的な性格を表現する際に、ジハード(聖戦)という言葉がよく使われるが、もともとこの言葉は神のために努力することを意味し、「聖戦」という意味はなかった。イスラム原理主義は、18世紀にアラビア半島で起こったワッハーブ運動を始めとする復興運動の流れとして理解することができる。ワッハーブ運動は、信仰を忘れて儀礼主義に陥ったスーフィズム(イスラム神秘主義)や、ともすればアッラー以外の信仰対象を生みだしかねない聖者信仰などを糾弾し、イスラム法(シャリーア)に従った理想的な共同体を復活させようとした。19~20世紀になると、イスラム世界の多くの地域が西洋の帝国主義政策により植民地となり、反植民地・反帝国主義としての原理主義運動が展開する。19世紀後半のスーダンのマフディズム運動や、1930年代にエジプトを中心に広がったムスリム同胞団の運動などはその典型である。79年にはイランでパフラヴィー(パーレビ)朝が倒され、ホメイニを指導者とするイラン・イスラム共和国が成立し(イラン革命)、イスラム原理主義が世界的に注目されるようになった。70年代以降のイスラム原理主義の運動を主に担ってきた人々は、伝統的なイスラム教育を受けた人々ではなく、むしろ世俗的な高等教育を受けた中流階層出身者が多いという特徴は興味深い。


↓フォーサイトより、現在のアメリカの対策と戦争


オバマ米大統領は実はいま、同時に2つではなく、3つの戦争を戦っている。第1にイラク。このほど、ホワイトハウスからテレビ演説を行ない、イラクでの「戦闘任務」の終結を宣言した。だがこれは極めて政治的な「終結」に過ぎない。公約実行と宣言した儀式で、戦争は終わってはいない。残留の米兵5万人は装備を変えれば戦闘任務に就くことができる。米公館などは7千人もの民間治安要員が警備する。第2はもちろん、アフガニスタン。米軍は3万人増派して計10万人弱。タリバン勢力の伸張に手を焼いている。そして最後の3つ目が対テロ戦争だ。別名「見えない戦争」。宣戦布告をしたわけでも戦地と認定した国・地域があるわけでもない。どこに前線があるか分からない秘密工作なのだ。




ピグの川柳広場

今日の深夜1時からの川柳広場は


めっちゃ楽しかったよーーーー読み手さんサンクス!!

ずっと発表台の前で感想言ってました

近視予防薬 Gigazin転載

科学者たちが近視(近眼)にかかわる遺伝子コードを解くことに成功し、近い将来、子どもに投与することで近視の進行を防ぐ薬(点眼薬や飲み薬など)の開発につながると期待されていることが明らかになりました。

近視は世界で最も多い眼疾患で、現在コンタクトレンズや眼鏡を使用している人の大部分が近視矯正のため使用していると思われますが、「コンタクトレンズは過去のもの、メガネは純粋にファッションとして楽しむ」という時代が来るのでしょうか。

詳細は以下から。

Genetic code linked to short sight found | Technology | The Guardian

近視の兆候は、多くの場合子どものうちに現れます。原因のうち生活習慣などの後天的因子と遺伝がどれほどを占めるかは人により異なりますが、特にひどい近視の人々では、80%が遺伝的要因によるものと言われています。

ネイチャー ジェネティクス誌に発表された2つの別々に行われた研究で、近視の人に多く見られるDNAのバリエーションが発見されました。キングス・カレッジ・ロンドンのChris Hammond博士はChromosome 15(第15染色体)の中の1つのセクションが、近視の人に多く見られることを発見し、ロッテルダムのErasmus MC(エラスムス大学付属病院)のCaroline Klaver博士も、やはり第15染色体にある別のセクションが、近視と関連することを発見したそうです。

この近視の人と近視でない人の間にあるDNAの違いは、眼球の成長をコントロールし目に入った光が網膜で電気信号に変換されることを保障する3つの遺伝子の働きに影響すると考えられます。つまり、近視になりつつある子どもではこの3つの遺伝子がうまく働いていないため、眼球が「育ちすぎて」しまっているようなので、この段階で眼球の成長をコントロールできれば、近視の進行を防ぐことができます。

Hammond博士は「点眼薬や錠剤などでブロックすることができる経路を見つけ、脳の発達や身体のほかの過程をさまたげずに眼球の育ちすぎを止めることができれば、と期待しています」と語っていますが、眼球がすでに成長しきってしまっている大人の近視は、子どもと比べ治療することは難しいとのことです。

特に強い近視は80%が遺伝的要因からくるとのことですが、近視の遺伝子を持つ子どもの全員が近視となるわけではありません。2008年にシドニー大学の科学者が行った研究で、シンガポールとシドニーに住む中国人児童の近視率を調べたところ、シンガポールでは29%が近視だったのに対し、シドニーではわずか3%だったそうです。これは遺伝では説明することができず、シドニーに暮らす子どもの方が外の自然光の中で過ごす時間が長く、遠くの物を見る機会が多いことで説明できるのではないかと示唆されています



やっぱ遺伝より後天的環境要因が原因ですか