日清のカップヌードルに"エモい"思い出がデザインされた容器が店頭に並ぶというYahoo!の記事を読みました。
カップヌードルにまつわる思い出を募集していて、採用された思い出がカップに印字されたようですね。
ふと、カップヌードルに何か思い出があったかなと考えてみました。
カップヌードルで思い出したのは高校生の頃。
うちは毎日お弁当を持たせてくれましたが、友人や仲が良かった女子とかがよく弁当を持って来ずに、昼休みになると高校を抜け出して隣にあった個人商店でパンやカップヌードルなどを買ってきていたんですね。
勿論、高校を昼休みに抜け出すのは校則で禁止されてますから、こっそり抜け出していた訳ですが、個人商店に行くと何人か高校抜け出して買いに来ていたし、個人商店のおじちゃんもおばちゃんも黙認してくれていたんですよね。
もしかすると教師陣も気がついていたかもしれないですけど、昼休みに抜け出すことが在学中に問題になったことはありませんでした。
私もお弁当は持参しているのですが、やっぱり菓子パンやカップヌードルを学校で食べるということや、昼休みに抜け出して買いに行くということにちょっと憧れる訳ですね。
そんな訳で私も月に何度かは一緒に抜け出して、菓子パンやカップヌードルとか買ってました。
高校生になるまではカップヌードルといえばオリジナル(しょうゆ)しか食べたことがなかったのですが、仲が良かった女子が「カップヌードルはシーフード味が一番美味しい」というので分けてもらったら本当に美味しくて、それからはカップヌードルを買う時にはほとんどシーフード味で、大学に入ってからもカップヌードルはシーフード味が美味しいと事あるごとに友人や彼女らに伝えて、シーフード味の美味しさを布教したものです。
そんな訳で私のカップヌードルにまつわる"エモい"思い出は、「高校生の時に知ったシーフード味。50歳を超えた今でも容器を見るだけで教えてくれたあの子を思い出す」、「高校の昼休みによく抜け出してあの子と買って食べたシーフード味」とかでしょうか。
我ながらセンスもないし、そこら中に転がっているような思い出ですねぇ。