【長野県】赤線跡を歩く「西堀」(松本市)202105 ※日本塗りつぶし旅・長野県③ | 日本あちこちめぐり”ささっぷる”

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【長野県】赤線跡を歩く「西堀」(松本市)202105

(長野県松本市大手二丁目)

 

前回の項でも書いたように、松本には公許の遊廓「横田遊廓」の他に、私娼街からの赤線が存在していた。

※「横田遊廓」については前回の記事を参照

下矢印下矢印下矢印

 

ここで、『全国女性街ガイド』からの抜粋を再掲。

 

修復なった松本城と北アルプスを背後に天神町と裏町に花街があるが、バスで十五分の浅間温泉にくわれた形で、芸者の方はぱっとしない。

そのかわり赤線は発達していて、市内に神明町、土井尻に集娼がある。神明町は駅前を左へ十分ほど行くとひどい家並みが十九軒並んでいる。貧民窟のような神明町などカットして、電車で十分ほどの横田遊廓へ足をのばすが得策。

創業明治九年の文明開化そのままの土蔵と洋風とが混然となった歴史的建造物が十四軒、名前まで古風で角海老、金精楼、第二舶来楼、なごん楼、万年楼、岩亀楼……張見世も、引附けも、本部屋も、割部屋も、そのままの遊廓である。妓は目下四十二名、ほかに浅間の浅間パレスへ七名が出張している。値段もおどろくべき安さで十二時から五百円。旧態然として、廻しがあるのも昔風。この里も、全盛を誇った大正末期には四百九十名の花魁がいたものである。

 

 

 

前回の「横田遊廓」が市街地から離れた郊外だったのに対し、今回取り上げる赤線跡は市街地に存在していた。

私娼街から発達した赤線として紹介されているのは「神明町」「土井尻」に二ヵ所。

そのうち、前者の「神明町」は現在の中央一丁目から二丁目にかけてで、駅から至近の場所に交差点名として残っている。

しかし、街並みとしては、往時の名残が全くといっていいほど残っていない。

 

そして、もう一か所の「土井尻」だが、こちらは駅から川をまたいだ大手二丁目一帯にあたる。

地図を見ると、確かに十字型の区画された箇所が見える。

実はこの一帯、数多くの先人たちが散策しており、多くのサイトでも取り上げられている。

ここはまたの名を「西堀」と呼ばれている。

 

 

松本駅から今回の目的地に向かうべく、「西堀通り」を進む。

 

 

大手二丁目交差点近くには、江戸時代末の旧町名「西堀町」と書かれた案内標が立っている。

「松本城西側の惣堀の外側南北に置かれた町」とあり、白の西側の堀だから「西堀」とそのまんまである。

 

 

近くにはかつての土塁が残されていて、「西総堀土塁公園」として公開されている。

城の一番外側の総堀を掘った土を内側に盛り上げて、高い土の土手(土塁)を造ったものである。

松本城は土塁と総堀が張り巡らされた総構えだったが、明治に入り土塁は崩され、堀も多くは埋め立てられるなどして、この形で残っているのはここぐらいだという。

 

 

附近の安立寺の脇にも旧町名の案内標が立っていた。

 

 

「土井尻町」

「土井尻」も江戸時代末の旧町名だった。

「土井」とは先ほどの土塁のことである。

かつてこの辺りには中級武士が住んでいたという。

 

 

近くには、煉瓦塀に囲まれたモダンな外観の銭湯「塩井乃湯」が建っている。

明治の創業だが、建物は大正期のもので、現役の銭湯だという。

銭湯といえば、遊里の近くには必ずと言っていいほどあったものだが、遊客も女給たちもここでひと人っ風呂入ったのだろうか。

 

 

さて、西堀通りから外れた通りに入る。

ここは松本きっての"夜の街"だ。

かつての赤線の名残りが色濃く残っている。

 

"教育県"の中心都市であり、戦前から存在していた旧制松本高校を擁したように質実剛健のイメージが強い松本だが、やはり遊べる場所はある。

決してお堅いだけではないのだ。

 

 

更に進んでいくと、いきなり真打が顔を出す。

 

 

はい、どーん!!!!

 

 

どうでしょう、この威容を誇ると言ってもいい、この存在感。

規模もさることながら、戦後のものだろうが歴史の長さをひしひしと感じさせる。

 

 

通路が中央を貫通する形で伸びている。

早朝なので、まったく人っ気はない。

 

 

裏手から臨む。

背後に大型マンションが控えているが、そこにはかつて「東宝セントラル」というモダンな映画館があった。

ここは戦前から歓楽街として隆盛を極めていたようだ。

 

 

裏手の路地にも妖しい店が並んでいる。

この辺りについては多くのサイトで紹介されているが、何でもソッチ方面で有名らしい。

そして、夜ともなれば妖しいネオンが町を照らしているという。

 

 

前回の「横田遊廓」は温泉旅館街に転換しているが、ここ「西堀」に関しては当時の名残をそのままに色街としての歴史を脈々と伝えている。

因みに、この「西堀」一帯は風営法改正で特殊浴場の営業許可地域に指定され、附近にはかつて特殊浴場が開業寸前まであったのが地域住民の反対運動で頓挫し、近年まで店舗跡が残っていたという。

現在、長野県には特殊浴場は一軒も存在していない。

 

 

松を象ったくり抜きが残る一軒。

 

 

こちらも妓楼のような佇まいが。

歩いてみると、色里の名残は所々残っているものだと分かる。

 

 

六九通りに入る。

重厚な観音扉の土蔵が見え、ようやくここで城下町らしさの町並みを見せる。

 

 

その並びには煉瓦造りの重厚な店構え。

寛文12年創業の「山屋御飴所」さん、建物は昭和8年築。

店先には明治18年ごろに造られたという看板が立っている。

 

 

その先にもモダンな店舗が。

松本は看板建築の宝庫でもある。

 

 

戦災とは無縁な松本にはこうした看板建築が数多く見られる。

しかも、凝った装飾が多い。

 

 

色里以外にも古い建物など見所が散見される大手二丁目界隈。

城下町松本の街歩きはまだ始まったばかり。

次回はダイジェスト形式ながら、松本の町並みに触れていきたい。

 

(訪問 2021.05.07)

 

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