【長野県】赤線跡を歩く「横田遊廓」(松本市)202105 ※日本塗りつぶし旅・長野県② | 日本あちこちめぐり”ささっぷる”

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【長野県】赤線跡を歩く「横田遊廓」(松本市)202105

(長野県松本市横田二丁目)

 

1泊2日の信州旅、2日目は城下町「松本」を目一杯歩いた。

現存中に天守の一つとしてお馴染みの松本城下の町並みもさることながら、これだけの規模であれば当然のごとく遊廓の存在はあってもいい筈。

事実、松本には公許の遊廓地として「横田遊廓」というものが存在していた。

更に、戦後になると、その「横田」だけでなく私娼地上がりの赤線が存在していたという。

 

 

東京から中央線特急「あずさ」一本、2時間半強で行けるというアクセスの良さもあって、観光客が多い町、松本。

西日本方面からなら、名古屋から出ている「しなの」で2時間程だ。

松本に来たならやはり現存中に天守の松本城🏯を押さえときたい、城下町の町並みを堪能したい、というのはおのぼりさん。

しかし、小生はそれよりも先に遊里跡の散策から入る。

まず、昭和30年刊行の『全国女性街ガイド』(渡辺寛・著)で紹介されている「松本」の項を引用。

 

修復なった松本城と北アルプスを背後に天神町と裏町に花街があるが、バスで十五分の浅間温泉にくわれた形で、芸者の方はぱっとしない。

そのかわり赤線は発達していて、市内に神明町、土井尻に集娼がある。神明町は駅前を左へ十分ほど行くとひどい家並みが十九軒並んでいる。貧民窟のような神明町などカットして、電車で十分ほどの横田遊廓へ足をのばすが得策。

創業明治九年の文明開化そのままの土蔵と洋風とが混然となった歴史的建造物が十四軒、名前まで古風で角海老、金精楼、第二舶来楼、なごん楼、万年楼、岩亀楼……張見世も、引附けも、本部屋も、割部屋も、そのままの遊廓である。妓は目下四十二名、ほかに浅間の浅間パレスへ七名が出張している。値段もおどろくべき安さで十二時から五百円。旧態然として、廻しがあるのも昔風。この里も、全盛を誇った大正末期には四百九十名の花魁がいたものである。

 

松本に存在していた赤線は、後述する「神明町」「土井尻」、そして「横田遊廓」で、前者二つは戦前に発生した私娼街、後者は公許の遊廓である。

 

 

まずは「横田遊廓」だが、現在も地番として「横田」というのが残っている。

松本城の北東に位置し、城下町から離れた位置にあるのが地図からうかがえる。

"悪所は遠ざける"という典型だろう。

 

 

アクセスとしてはバスバスの便がある。

松本駅前のバスターミナルから120系統「横田信大循環線」が出ており(日中は1時間に3本)、25分で「横田」停留所に辿り着ける。

 

 

バス停からすぐ目の先に「横田温泉入口」と書かれた看板が見える。

この先に件の「横田遊廓」があった。

 

 

直進すると一帯は住宅街なのだが、なぜかホテルの看板が立っていて、如何にも的な感じがしてくる。

 

 

もしかするとラブホテルだったのか?

 

 

看板に従って進んでみると、確かにホテルだったと思しき建物。

既にホテルとしては終わっているようだが。

 

 

さて、「横田遊廓」があったのは現在の横田二丁目。

地図を拡大させてみると、遊廓特有の「田」の字型の区画がハッキリと残っているのが分かる。

明治10年に公娼制度に踏み切った長野県では、この松本の「横田遊廓」他に、長野市「鶴賀遊廓」、上田市「常盤遊廓」などが存在していた。

昭和5年刊行の『全国遊廓案内』にはこう記されている。

 

長野県松本市横田町に在つて、中央線松本駅からは約二十丁、駅から横田町迄電車を利用すれば賃九銭。

松本市は松本平の中心に在つて、旧戸田氏の城下である。城下は今兵営に成つて居る。附近は養蚕が盛んで、繭、糸、蚕卵紙等の取引が多い。松本も一寸上田に似た感じのある処で、活気の溢れて居る処等は殖民地の、殊に台北辺にでも行つた様な感じのする処である。高等学校が出来てからは殊に野球熱が盛んに成つて親子兄弟揃つて野球チームに加盟して居る人も少くない。貸座敷は目下二十一軒在つて、娼妓は百二十人居るが、多くは新潟県の女である。店は写真式の家もあれば陰店を張つて居る家もあつてまちまちだ。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し制で通し花はとらない。費用は甲が本部屋で酒肴附四円五十銭、乙は廻し部屋酒肴附二円五十銭、丙は廻し部屋茶菓附一円九十銭で一泊可能である。妓楼には、舶来亭、萬舎、大梧大、松鶴楼、岩亀、第二舶来、梧大楼、角海老、白水、梧中楼、萬年楼、高砂、芳山楼、清江楼、萬亀、新舶来、蓬莱、梧三楼、三つ井楼、吾妻楼、岩井楼等がある。芸妓の玉代は一円、市の北方約十五丁の処には浅間温泉がある。

 

 

 

閑静な住宅街に突如として現れる旅館が一軒。

屋号「梧三荘」は、先程の『全国遊廓案内』にも登場する「梧三楼」からだろうか。

 

 

ここにもあった。

 

 

メインストリートと思われる幅広の通り。

 

 

前述で引用した『全国女性街ガイド』にあった、「文明開化そのままの土蔵と洋風とが混然となった歴史的建造物」だろうか。

確かに土蔵のように見えて、2階の窓は妓楼のそれなのだが。

 

 

ここにも旅館。

旅館「舶来荘」は妓楼「舶来亭」の転業だろう。

実は今回投宿した旅館でもある。

 

 

 

 

 

今回は朝食付きのコースで宿泊。

二十四時間入浴可能な風呂は天然温泉。

そうそう、ここは「横田温泉」という温泉街でもある。

 

 

赤線廃止後は温泉街としての再生をはかり、かつては開湯1000年を誇る「浅間温泉」に対して、「新浅間温泉」という名で呼ばれていた。

「浅間温泉」は、ここから北へ2㎞程の場所だ。

歴史のある元祖の「浅間温泉」と比べればちゃちな感じがするが、実際に現在も3軒の旅館が現役として稼働している。

 

 

さて、松本には公許の「横田遊廓」の他に、私娼街から連なる赤線が存在していた。

次回はその旧赤線街の町並みを歩きます。

 

(訪問 2021.05.07)

 

 

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