約39年前の1985年8月12日に日航123便が御巣鷹山に墜落した。

 

機体後部の圧力隔壁が割れて、機内気圧の急激な変化が起こり、これが原因で垂直尾翼の一部が破壊された。

そのことによって操縦不能となった。

 

しかし、機長は懸命に機体を横田基地に緊急着陸しようと頑張ったが、何故か、着陸の許可を得ることができなかった。

 

森永卓郎が講演している以下の動画では、衝撃なことに、123便を追尾していた自衛隊戦闘機が4つあるエンジンの一つを、ミサイル発射して破壊したというのだ。

 

森永氏の言葉 : 「第4エンジンだけが落ちて、しかも粉々になっていた」

                      「政府の公式見解では第4エンジンが立木に当って壊れた、物理が分かる人はこんなことはあり得ないと分る」

 

私は、こんなことは信じられないが、森永氏は99%、信じていると。

 

本当だとしたら、当然、そこまでやらなければならない動機があるはずだ。

当時、中曽根首相は防衛予算としてGNPの1%枠を外そうとしていた。

森永氏はこれが関係しているとして、話を展開している。

そして、ボーイング社に泥を被ってもらったことで弱みを握られ、日本はアメリカからの要求に対して反論できなくなった。

 

墜落から40日後のプラザ合意*で対ドルで円が一気に240円から120円と高くなり、この影響で日本の輸出企業は苦しくなった。1986年の日米半導体協定によって、日本におけるアメリカ製半導体は20%以上のシェアを要求された。これは貿易協定違反であるが、秘密文書でその約束をさせられた。

 

 

 

航空事故調査報告書付録 別冊 62-2-JA8119-huroku.pdf (mlit.go.jp) 、95頁 、付録6 DFDRに基づく事故機の飛行状況及び飛行経路、1.1.1の頭には次のように書いてある。

 

「18時24分35.70秒において、… 約24キロ・ポンド(約11トン)の前向き外力が作用したことになる。」

 

これは何らかの物体が後ろから尾翼に当ったということを示唆している。


この物体とは何か。『日航123便墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る』の著者である青山 透子氏は、ミサイル説を唱えている。

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(25:59)

自衛隊がね、引き渡しを受けた「まつゆき」という護衛艦、まあ戦艦ですね。その航行訓練をしていて、爆薬を積んでいないミサイルも、そこで装着していただろう。それを誤って撃ってしまって、爆薬が付いていないんで、爆発はしない。それが尾翼に当ったんだ、というのが青山説。

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私は自衛隊員が誤って撃ってしまうなんて考えられないのだが。

じゃあ、当たった物体は一体、何なのか。?

 

護衛艦「まつゆき」について

・石川島播磨重工業東京第1工場で1983年4月7日に起工され1984年10月25日に進水。

・就役前の昭和60年には試験航海で、日本航空123便墜落事故の捜索活動を行い、垂直尾翼部分を発見。

・1986(昭和61)年3月に「はつゆき」型9番艦として就役。

護衛艦まつゆきが35年の任務完遂 日航機墜落で尾翼発見   - 産経ニュース (sankei.com)

 

森永氏は護衛艦がどこから「引き渡しを受けた」かは明言しなかったが、護衛艦の発注先である石川島播磨だろう。

石川島播磨が 爆薬を積んでいないミサイル を装着したままだったら、注意喚起をして引き渡しただろうに。

 

 

* : プラザ合意

米国の貿易赤字削減のため、為替を円高・ドル安に誘導するのが合意の柱