【映画】22才の別れ/Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007):大林監督&伊勢正三第2作目 | Bokuと映画  Chackn'sBlog

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おきにいり映画、 地元鹿児島のこと、 70年代、80年代のおもしろかったこと、 
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大林監督の大分を舞台とした古里映画

 

リコリス、22才の別れ、大分臼杵の町、すべてをリンクさせたシナリオが秀逸

 

 

 あなたに さようならって

 

  言えるのは 今日だけ

 

 

「22才の別れ -Lycoris 葉見ず花見ず物語-」

 

 

 

 

2007年公開 / 119分 / 日本 

 

監督/編集: 大林宣彦
脚本: 南柱根/大林宣彦
原案: 伊勢正三
製作総指揮: 大林恭子/頼住宏
音楽: 山下康介/學草太郎/伊勢正三
撮影: 加藤雄大
美術: 竹内公一
製作会社: ダイアックス株式会社/PSC
配給: 角川ヘラルド映画

 

筧利夫/鈴木聖奈/中村美玲/窪塚俊介/寺尾由布樹/細山田隆人/岸部一徳/根岸季衣/南田洋子/峰岸徹/村田雄浩/三浦友和/長門裕之/清水美砂他

 

大林宣彦監督が「なごり雪」に続いて大分を舞台に描くノスタルジックな恋愛ストーリー。伊勢正三のフォークソングの名曲『22才の別れ』をモチーフに、人生の岐路に立った中年男の切ない別れの記憶と、そこに秘められた母娘二代にわたる哀しい恋の物語を綴る。主演は「踊る大捜査線」の筧利夫。
 福岡市の商社に勤める川野俊郎は1960年代生まれの44歳。37歳の同僚OL有美とは煮え切らない関係が続いていた。そんなある日、ひょんなことから『22才の別れ』を口ずさむ少女、花鈴と知り合い、バイトを辞めた彼女から援助交際をお願いされる。しかし、彼女の身の上を聞いた俊郎は、かつて22才の誕生日に別れた恋人、葉子との記憶を呼び覚ますことになるのだった…。

(allcinemaより抜粋)

 

Wikipedia:22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語

 

 

*****

 

 

どーもでございます。

 

本日は後期の大林監督作品の中でもこの作品と「その日の前に」(2008)

 

は、非常に完成度の高い作品になっていると感じていたので

 

2本とも一度はアゲてはいましたが

 

久しぶりに観返してみたのでやっていきたいと思います。

 

作品はお決まりの「A MOVIE」から始まるが、

 

この「A MOVIE」は長いこと封印されていた

 

封印されたのは「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(1988)まで使われていて

 

同年公開の「異人たちの夏」より封印されている

 

 

19年ぶりの2007年の公開2作、

 

今作と「転校生 さよならあなた」(2007)から復活する

 

 

 

 

 

 

 

 

「理由」(2004)から約2年の沈黙を破り

 

2007年に2作品を公開することになる

 

実はこの2年間に2作品が頓挫していたという

 

「理由」のメイキングで監督はやたら「インディーズ」という言葉を口にしていた

 

もしかするとそろそろ商業映画の枠から離れ、自分の撮りたい作風でこれから撮りますよという宣言が

 

「A MOVIE」の復活だったのかもしれない

 

リメイク版の「転校生」はオリジナルが好きすぎてあまり乗れなかったが

 

「22才の別れ」は秀逸な脚本と前衛的な演出含め大好きな作品となった

 

 

前置きがいつもながら長くなりましたが

 

お話も追っていきましょう

 

 

 

中年の男が医師から病名を告げられるところから物語は始まる

 

「非閉塞性無精子症」

 

ようは子供が出来ませんと診断されてしまう

 

男は川野俊郎=筧利夫

 

 

 

博多の高級マンションに上階に棲むエリートサラリーマン

 

独身43歳

 

コンビニで買い物をしているとアルバイトの子が「22才の別れ」を口ずさんでいた

 

 

 

 

「古い歌をしってるんだね」

 

 

「父がよく歌ってたもので」と

 

 

たわいもない会話から

 

2人の物語が奇妙にもつれていく

 

 

 

ある日、アルバイトの子が公園でロウソクを灯していた

 

 

 

 

「君・・」

 

 

と男が言う

 

 

するとバイトの娘は

 

「あなたを待っていました」と言う

 

「援交(援助交際)してください」と。

 

 

 

 

彼女=鈴木聖奈は

 

誕生日の日に、アルバイトのコンビニを首になる

 

家賃を払うと1円もなくなってしまうので

 

お金持ちそうな客の俊郎に、なんとなく優しそうだということもあり願いに来たのだった

 

ろうそくは自分の誕生日でもあり、母の命日でもあるという

 

故郷の街中ロウソクを灯すお祭りが有り

 

鎮魂の意も込め灯を灯していたのだ

 

俊郎は故郷を聞き

 

自分の故郷の隣町だと判る

 

娘は大分県の臼杵の生まれで

 

俊郎は隣の津久見市で育っていた

 

彼女の名前を聞き、

 

俊郎は愕然とする

 

 

彼女は田口花鈴

 

俊郎の昔の恋人、北島葉子の娘だった

 

 

 

 

葉子は

 

文学が好きで名前の「葉子」は

 

「言の葉」の葉っぱだから気に入ってるという

 

リコリス(曼珠沙華)の花が好きで、

 

「花」が咲いて散った後に「葉」がでることから「葉見ず花見ず」とも言われるリコリスを見て

 

娘の名は「花鈴」にすると言っていたのだ

 

 

 

 

しかし葉子は一緒に東京に来たのだが

 

都会の生活に疲れ、

 

22才の誕生日の日に二人は別れ、

 

葉子は大分に帰りすぐに結婚してしまうも、

 

出産が原因で子を残し花鈴が生まれた日に死んでしまう

 

 

 

 

その葉子の娘が偶然にも敏郎の前に

 

現れたのだった

 

俊郎はプラトニックな関係のまま、

 

彼女を援助することにする

 

 

 

しかしながら花鈴には同郷の恋人がいて

 

アルバイトのみの貧しい生活を強いられていた

 

 

 

 

若い同郷の恋人には窪塚俊介

 

ちょうど就職氷河期の頃だ。

 

俊郎は昔の自分と葉子にダブる2人を見て

 

2人が結ばれることを応援することに。

 

 

 

それから敏郎は

 

花鈴に母と若い頃恋人だったことを告白し

 

母の話を聞かせる

 

俊郎は花鈴の父とも会い、

 

臼杵で別れる

 

 

 

 

臼杵の町の実家で

 

花鈴は22才の誕生日を迎える

 

 

その時、臼杵では

 

「竹宵」の行事があったのだった

 

 

 

 

 

街中で灯るロウソクは

 

花鈴の住む実家へとつながっていく

 

 

 

 

町のロウソク

 

臼杵の「竹宵」という行事が実際にある

 

鹿児島に居たときに1度は行ってみたいと思っていたものの

 

行く機会が作れなかったが、

 

嫁に「ふるさと納税」を勧められた時に

 

大分の臼杵市に納税したのは

 

この作品を観たおかげであるw

 

 

 

 

 

この火の灯りと

 

「22才の別れ」のロウソク

 

臼杵市と津久見市の話しも

 

リコリスと娘と母との話しも

 

シラケ世代と2000年代の若者たち等との話も

 

全てを掛け合わせた物語となり

 

 

その臼杵の町とロウソクとリコリスの花と

 

父や母の家族も

 

そして俊郎も

 

「22才の別れ」という歌でさえ

 

この花鈴を見守ってくれているように感じさせている

 

 

 

 

 

父は母の形見を

 

花鈴に渡す

 

母が大事にしていた物だった

 

それは

 

母と俊郎との写真と

 

写真で俊郎が付けてた手編みのマフラーだった

 

父は

 

母の思い出迄受け入れていたのだった

 

 

 

 

 

竹宵の22才の誕生日の日、

 

父がギターで「22才の別れ」を爪弾く

 

 

 

すると竹宵に導かれた葉子が現れる

 

その姿は花鈴にしか見えないが、親子3人が同じ画面に映るシーンだ

 

 

 

 

 

父は「なんで母さんはこの歌が好きだったのかな」

 

とギターを弾きながら呟く

 

葉子はお茶を花鈴に作り

 

一緒に飲む

 

 

 

 

 

母の気持ちを娘に告げるシーンであろう

 

悟った花鈴は

 

「いつか私が話してあげるよ」と父に言う

 

そして

 

「おとうさんかっこいい」

 

最後は花鈴の笑顔で終わり、

 

 

 

 

エンドロールに正やんの歌が流れる

 

 

 

 

花鈴演じる鈴木聖奈のアイドル映画のようにもあるが

 

それは大林監督のお得意の映画でもあるし、

 

新人を女優として開花させるのは

 

もはや監督の趣味の領域にもなるのかもしれないww

 

それほど新人女優と言うか

 

女優さんを撮るのが上手い

 

 

この作品の2時間半にも及ぶメイキングは

 

タイトルが「少女が女優になるとき」だ

 

花鈴演じる鈴木聖奈と

 

葉子を演じた中村美玲の2人の新人

 

この2人を女優にするのがこの作品のテーマだったと監督は言う

 

 

最近では、「女優」という言葉自体がコンプラ的にどうかと言われているの聞いて

 

もし監督が生きていたら何といったのだろうと思うことがある

 

「女優」もしくは「ヒロイン」と

 

「俳優」は同じようで全く違うと思うのだが

 

時代がそういう時代なんだろうか

 

 

監督は筧利夫さんに

 

少女を女優にする作品だから

 

演技を抑え、女優をサポートする演技をしてほしいと伝えたらしい

 

つまりは「ローマの休日」のグレゴリーペックのような立ち位置

 

 

主人公は筧さんであろうが

 

ヒロインをサポートするような演技をしている

 

女優を知り抜き

 

女性をどうきれいに撮るかを撮り続けた監督だからこその作品でもあると思います

 

 

最後に本音も出るのもね、

 

嬉しいですね。

 

それは観てのお楽しみですかな。

 

 

では、

 

次は「その日の前に」も観返したのですがね、

 

こちらもボリュームたっぷりの作品でございますのでね、

 

少し時期を見てまた書き込みましょう。

 

では(^^)