30年前の今日
午前3時40分 2.480g
産声をあげ、この世に生まれた
産声をあげたものの仮死状態だった私は、たくさんの先生たちの中で蘇生を受け、ここまで生きてきたんだ
また生まれた病院は大きな病院ではあったものの当時NICUが無かったため急遽使っていない一部屋を空け
私専用のお部屋を作ったと聞いた
また、通常は生まれてから名前を決め〜届けを出すまでに2週間ほど時間はあるらしいが私は生まれてそのまま入院だったので早く決めなければならず
両親は、生まれるまで私が男の子だと思っていたらしく名前を決めるのにまぁ慌てたそうでその翌日には決定したとのこと
また生まれたすぐは3日が山だと言われ
もし何かあったときのために早く名前を付けてあげたいと両親は思ったそう
そうして私は「人に恵まれ優しい人に育って欲しい」と願い名付けてくれた
また生まれてすぐは呼吸がうまくできなかったため人工呼吸器が必要で
喉に穴を開けてそこから呼吸をというお医者さんからのお話があったほど。
もし私が大きな病院で生まれていなかったらおそらくもっと大変な状況になっていたのではないかな。
生まれてまもなく病気がわかった
病名ピエールロバン症候
ネットより
「ピエール・ロバン症候群とは新生児に稀に起こる先天性で複合的な疾患です。 主な症状としては小下顎症や下顎後退症、舌根沈下、気道閉塞がそろって見られます。 その結果、呼吸困難が出生時からの最大の問題となります。 発生率は3000人に一人や30000人に一人とも言われます。」
ある日のこと実家の掃除をしていたら
私が生まれた時の書き込みダイアリーと
母子手帳、臍の緒が出てきた
生まれてからの半年間ダイアリーは
その頃の記憶がない私が読んでいても
当時の両親の気持ちを思うと胸がギュッてなる
お母さん一人で退院する時は悲しかったこと。また退院してからは毎日、私にミルクを届けに病院に向かったこと。
予後は良いと言われているけど、きっと心配で心配でたまらなかったよね
私が物心ついた頃から、生まれてからのお話をよく聞かせてくれて
小さい私を生かすことに当時は必死だったと語ってくれた
当時2歳位だったお姉ちゃんも、両親の祖父母宅へ何日もお泊まりしたり、ほんとにみんなで、乗り越えて来たんだなと思うとじーんとくる
生まれてから1年ほど経ち、ようやく状態が安定してきて自発呼吸ができるようになり晴れて退院したときには
どんなに嬉しかっただろうか
その後も、しばらくは体があまり丈夫ではなく入院退院を繰り返し
難聴や知的に遅れが分かった時には、様々な療育や病院へ連れて行ってくれたり
斜視や口蓋裂のため何度も手術をしたり
その度に嫌だと泣いて怒って困らせて
でも両親は、その都度その都度、何が怖いのか、どんなことが嫌なのか、きちんと私の話を聞いてくれて、納得するまで暖かく寄り添ってくれたり
今思えば、ただただ感謝しかない
あの頃の両親に言いたい
私は大丈夫だよ
当時は、生かすためにたくさんのお薬を使ったと将来に影響が出ないか心配していたけど今とても元気だよ
また生まれてから乗り越えなければならない困難は沢山あったけど、名前にあるように周りにとても恵まれ今、とても幸せだよ!
産んでくれてここまで大きく育ててくれてありがとう
そしてお母さんが前に言っていた
私のおかげで普段じゃ経験できないことをたくさん経験出来たと
私自身も生まれ持った様々な障害で
たくさんのことを知ることができたし
挫けるたびに普通が良かったと思うことは多々あるけど、それでも私は私でよかったなと思います
さて!長くなりましたが
本日より30代スタート!!
今年も、たくさんのことを経験できたら良いなと思います・:*+.\(( °ω° ))/.:+
とても良い年にしたいな