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リストラ父さんのブログ

リストラを機に、脱サラして転売ビジネスを始め、サラリーマン時代よりも、経済的にも時間的にも余裕が持てるようになった、元普通のサラリーマンのブログです。これから、転売ビジネスを始めようと思っている方の何かのヒントになれば幸いです。

親会社が過去最大の大赤字の見通しを発表する中、自分の勤務していた工場でも大きなリストラはあるだろうとは考えていましたが、自分の勤務していた会社の平均年齢は、自分の年よりだいぶ上でしたので、


「大規模リストラはあっても自分はこのまま、この工場に残れるだろうな」


と特に心配もしておりませんでした。


がしかし、自分の見通しの甘さを思い知らされる宣告を受けてしまいました。


2011年11月のある日、その日勤務していた従業員全員が集会所に急に集められ、社長から、つぎのような宣告をうけることになったです。


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2014年3月をもってこの工場は閉鎖する。


よって、各従業員は以下の選択肢から自分の身の振り方を、2012年1月○日までに決めること。


①2012年3月に退職(退職金割り増し有り)

②2014年3月まで工場閉鎖の準備要員として残りその後退職(退職金割り増し無し)

③鹿児島工場閉鎖後も関西または北陸の工場に転勤し在職する。


※若干違うかもしれませんが、こんなニュアンスの事言ってました。

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私は、血の気が スーーーッと引いていくのを感じました。



『まだ家の23年ローン、1年分も払ってないのに・・・・』





2011年の正月は新築の家で、家族みんな幸せいっぱいのスタートとなりました。


そんなか、2011年3月、東日本大震災が起こりました。
幸い自宅は鹿児島でしたので、地震と津波による直接的な被害は、全くありませんでしたが、テレビで報道される現地映像は、想像を絶するものでした。

遠く離れた鹿児島の地にいる自分達に、これからどのような影響が出てくるかは、全く想像もつきませんでしたが、週明け直ぐに仕事上で影響が出始めました。

東北や関東地方の企業より購入していた原材料が、当面の間入荷できない、生産再開の見込みが無いので製造中止とさせて下さいなどと連絡が入りだしました。


この影響で、私の勤めていた工場では、生産がストップしてしまうラインが出始めました。


さらに、私の勤務していた工場では、テレビ向けの部品も多く生産していましたが、地デジの切替の影響で、需要を先取りしてしまっていたため、さらにこの年は急激に生産が落ち込み始めました。


私は、この地デジへの急激な切替は、日本の家電メーカーを弱体化を、さらに加速させてしまった大きな原因のひとつではないかと思っています。


日本全国一気に地デジに切り替えると言う事は、ほとんどの家庭で、テレビを一斉に切り替えなくてはならないということです。

そうすると、テレビを作っているメーカーでは、次の年は需要が落ち込むとわかっていても、増産のための過剰な投資をしなくてはなりません。

案の定、次の年は、需要がぱったりとなくなり、シャープやパナソニック、ソニーなどのテレビ関連の工場があちこち閉鎖に追い込まれていってしまいました。


では、過剰投資しなければどうなったかというと、私の想像ですが、韓国や台湾の海外メーカーにユーザーを持っていかれてしまったと思います。

一度離れたユーザーはなかなか戻ってきてくれないので、お客さんを逃がさないための苦しい選択だったんでしょうね。


政府は、地域別に段階的に切替を進めるべきだったんではないかと個人的には思います。



そして、例外なく、私の勤めていた工場でも急激に経営が悪化してきていました。

勤めていた工場というよりも、その親会社の方がダメージは大きかったようです。


ですので、大規模なリストラがまた、ありそうな予感がしていました。






自分の勤務先も閉鎖ってことにならないかな・・・

と気にはなっていましたが、起こってもいないことを心配しても仕方が無いと思い、マイホームを新築する事に決心しました。


もちろん、即金で購入できるほど貯蓄はありませんでしたので、約10万円/月の23年ローンを組む事になりました。
この時、私は40歳でしたので、定年まで働いても、残り3年分ローンが残ります。
この3年分は退職金で一括返済をと考えていました。

まさに、取らぬ狸の皮算用ですね・・・

本当に定年まで働けるんだろうかとか、退職金って20年後本当にもらえるんだろうかってのは、もう頭の中かから、意識して消し去っていましたね、この時は。


そして、2010年の暮れに念願のマイホームが完成しました。

そして無事引越しも終わり、2011年のお正月は家族みんなで新築のマイホームで迎えることができました。

私達家族は、新しい家で、幸せいっぱいでした。


このあと、どんな宣告を受けるかも知らず・・・・・




私は、昨年まで3人の子供と嫁さんのいるごく普通のサラリーマンでした。

勤め先の会社は某大手家電メーカーの工場でした。
私は鹿児島在住なのですが、鹿児島ではかなり給料はいい方だったと思います。
年収にして700万円前後、最終的にもらっていました。

そして、休日も年間120日以上あり、さらに毎月1日は有給を取れていました。

仕事はクレーム処理が大半でしたので、大して面白くもなく、サービス残業も結構ありましたが、これだけの休日があって、これだけの給料をもらえていましたので、がまんして何とか毎朝出勤していました。

(クレーム処理ではなくクレーム対応という言い方の方が良いのでしょうが、私にとってはクレーム処理でした)


給料自体は、鹿児島という土地柄を考えると結構良かったですが、このクレーム処理と言う仕事が、どうも好きになれませんでした。
ですので、いつの日か脱サラしたいと考えていましたが、収入につながるような特技もなかったため、だらだらと年数だけが過ぎていきました。

そして2008年に一番下の子が生まれたのを機に、この会社で定年退職まで勤めようと決め、二の足を踏んでいたマイホームを新築する事にしました。

ただ、このころ、鹿児島県内のやはり某大手家電メーカーが工場閉鎖し撤退すると言うニュースが鹿児島県内を騒がせていましたので、もしかして、自分の勤務先も・・・・

と少し気にかかってはいました。

が、そのまさかが・・・・