ひとのことばは、ずっと後になってから分かることが時々ある。

 既に何度か書いているが、新宿の喫茶店でお会いした方は、

「息子が旅立って数日後に、息子の魂が空から落ちてきて、私と一緒になった。」、「今の自分の肉体は息子と魂が半分ずつ。」、「これからは感動を探して生きてゆきたい。」

 最初のことばは長い間信じられなかった。わたし自身の実感に照らして共感することが難しかった。

 

 写真の靴は、長男が入院中に父ちゃんが買ったもの。閉鎖病棟はひも靴使用不可。スリッポンタイプで歩きやすい靴を選び、足裏が内側に傾く長男のために矯正インソールも買った。

 長男は「これならジョギングもできるかな」と喜んでくれたが、結局一度もジョギングはしなかった。

 

 長男がやりたかったこと、やり残したことはたくさんある。その無念さは虚空をただよい、受け入れてくれる人に吸収されるのではないか。だから遺族はずっと悲しいのではないか。(想ひ出歳時記のあとがきに書いた内容)

 

 親が子の代わりに生きていく?いや、代わりにはなれない。

 これは逆縁と呼ばれるが、理不尽でもある。

 親から子へいのちをつないでいくという「原則」から外れた、例外としてのいのちである。

 子と一体化した上で、ひとつのいのちとしての在り方を問われている。

 正解などないと言うのは逃げなんだろうか。

 

「子に生かされたいのち」とまでは、まだ思えない。

 ただ、かなしむのと落ち込むのとでは違うと思う。

 かなしみをやめるつもりはないし、できない。

 けれど、落ち込んでばかりではダメだ。前を向いて、時々上を向いて歩こう。

 

 長男の靴を履いていつもの森林公園展望台に行ってこよう。

 帰りに、旨いビールを買ってきてお供えしよう。

 今日は長男の29歳の誕生日である。29年前と同じように、すがすがしい秋日和である。

 

 句集「探梅」より

在りし子の誕生日なり天高し



 

 ⟬追記 ⟭

    あの子と一緒に悩み苦しんであげられなかった。その罪はどうしたら償えるのだろう。

    あの子と一体化したら赦される、そんな風に考えるのは都合が良すぎるのだろうか?

    

    アウトドアブームらしい。山に登れば、カップ麺がご馳走に感じられるし、ただのコップの水がたまらなく美味しい。

    わざわざ金と労力と時間を使って、不便や不自由を味わいに行くのは、幸せの閾値を下げるためである。

    

    その理屈でいくなら、自死遺族はそうじゃない人達よりも、ただ生きてさえいれば良いという「真実」を敏感に満喫できるはず。

   でも、なんかそれって引っかかる。

    「生きてるだけで丸儲け」・・・なんて下劣なセリフだろう。まだ失っていないから、そんな無神経な表現ができる。儲けるとか、相対的に得をするということが、幸せなんだという低俗な前提が見える。

(そんな意図ではないとの弁明もあるかもしれない。でも、自死遺族からすると、「死ぬよりマシ」とか、「もう死ぬかと思った」とか、「死ぬほど辛い」とか、「生きてさえいれば必ず良いことがある」みたいな言葉は、いちいちグサグサと心をえぐられる、トゲのあるセリフだという事実、「死んだらおしまいだ」、「死ぬのを止められなかったのだから家族として失格だ」と呪いのように変換されて響くこと、自死遺族の心が何年経とうが今も傷口からだらだら血を流し続けているという事実を、世間一般の人達は知らなさすぎる。)


 

    自死遺族だからこそ味わえる、ほんのささやかな、ありふれた日常の幸せが、今ここにある。気付こうと心を澄ませれば、必ず気付ける。

 

    カバー写真は、先程散歩に訪れた森林公園の噴水。虹は触れられないけれど、少し移動すれば見えなくなるけれど、確かにそこにある。