南直哉「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
レビューというより、見出しの羅列ですが・・・
著者は曹洞宗の僧侶。永平寺で長年修行し、今は恐山におられるようです。
下手なカウンセラーや精神科医の言葉より、ためになる内容でした。突き放したような厳しさの中に、弱者に対する深くあたたかな眼差しを感じます。
・仏教はもともと救いのない宗教。苦しくつらいのが人生というところが出発点。
・自分を大切にすることをやめる。
人はたまたま生まれてきただけ(生まれようと決心して生まれてきた説を否定する立場)。
自分の属性(着ている服のようなもの)は他者と社会によって与えられたに過ぎない。
自分らしさに皆こだわるが、それは記憶と他者による評価・承認で成り立っているだけ。
(ということは、評価・承認を捨てた遁世者は、記憶だけが自分らしさということに。)
・生きる意味は見つけなくていい。人生に意味などないという認識からスタートする。人生を棒に振るくらいでちょうどいい。
・悩みは人間関係の中でしか生まれない。見返りを求める感情を取り去ってみる。
条件付の取引は見返りをほしがる心から生じる。座禅やマインドフルネス(ということばは使っていないが、明らかにそう。)によって揺らぐ心がこぼれないようにする。やるべきルーティーンを淡々とこなす。
・なりたい自分になれなくていい。夢をかなえた人よりも、夢に破れてしぶとく生き続けている人の方が偉い。挫折によって損得勘定・承認欲求から離れることができる。
・自分のためではなく、誰かのためになにかをすることが大切。具体的に、誰を大切にしたいかを明確にする。
・人生で一番の大仕事は死ぬこと。誰でも少しの満足といくつかの後悔を抱えて旅立っていくもの。
・置かれた場所で咲かなくていい。ここが居場所じゃないと感じたら逃げていい。
・情報の99%は不要。振り回されるな。
・人生はネガティブで当たり前。
夢や希望なんて無くていい。夢や希望は麻薬。切れた時の禁断症状(絶望感)がこわくてしがみついているに過ぎない。
・「欲しい」という情動は、強い不安から生じる。
・生きがいなんていらない。
・怒りは自分が正しいと信じているから生じる。怒りは何も解決しない。
嫉妬は錯覚から生じる。
(対人関係において)理解は合意された誤解である。
・人脈や友達はいらない。
・後悔は抱えたままでいい。
・悲しみが消えることはない。悲しみを認めれば受け入れることができる。
興味を持たれたら、詳しい内容は本を手に取ってお読みください。
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長男が通った高校は、「なりたい自分になる」を校是とし、偏差値の高い大学に進学することが自分の可能性を広げるという洗脳(=呪い)を行っていた。
それで頑張り切れる生徒なら、それでいい。
長男は、落ちこぼれつつ反抗していたが、反抗しきれずに洗脳されてしまった(呪いを解けなかった)。
だから、偏差値の高い大学に合格できない自分を卑下しつつ、何とかあがいて生き延びようとしたが、最後に否定してしまった。
今さら妻の強固な固定概念(いい大学~いい会社~幸せな結婚=いい人生という先入観)を覆すこともできないが、せめて父ちゃんは、長男に対してもう少し柔軟で広い視野を与えてやれれば良かったと、一生の後悔を抱えて過ごしている。
※いまだに自称カウンセラーとか、占い師みたいな方から承認申請がありますが、これってキーワード検索とかで自動でやってるんでしょうか?
自死遺族でも営利目的が疑われる方や、記事を一つも書かれていない方は承認しませんのでご了解ください。