年中辛くて悲しいし、年中元気がない(自分のために何かをしようとする意欲がほとんどまったくない)のだが、夏休みの時期もまたそうである。蝉時雨を聞きながら、義母の初盆の支度をしながら、長男のことを想う。知り合い達は楽しそうにSNSで発信していたりするので(まあリア日常に比して盛っているのだろうけれど)、そういう情報に接するほどマイナスの感情が生じるので、できるだけ見ないようにしている。
高校時代の長男は、平日なら午後9時まで自習室にこもっていた。
予備校でも午後9時まで自習室に居た。自宅よりは勉強がはかどるのだろう。
気晴らしで家族一緒に買い物や食事、日帰りのレジャーなどには結構ついてきたが、日曜は模試とか補講とかでつぶれることも多かった。
大学に入っても、仮面浪人で図書館に行って勉強はしていたが、やはり限界があり、心療内科の薬も次第に増えていき、下宿でうつうつと籠ることが増えた。
そして大学生活2度目の夏、前期試験期間中に倒れたので、改めて振り返ると、いわゆる楽しく解放的な夏休みというのは、中学2年までしかなかった。(中2の9月から自宅で一言もしゃべらなくなった。)
いったい何をしてたんだろう。長男が中2の夏といえば、2007年である。当時の日記を探してみてみると、
7/21 柔道部の阪神大会に参加。
7/25 家族でビアホールに行く。唐揚げを山ほど食べる。
(当時父ちゃんはMixiをしていて、ミク友さんたちとのやりとりが多かったが、既にどんな人だったか思い出せない方が多い。人って、やっぱり忘れるもんだ。ということは、相手もわたしのことを忘れているに違いない。)
8/6 柔道部の合宿(4泊5日)
8/12 家族で墓参り
8/14 家族で台湾旅行へ(3泊4日。この時からほとんどしゃべらなかった)
8/19 県立美術館に連れて行く。ルノアール、モネ、マティス、ドラクロア、ピカソ、シャガール・・・
売店で木製のクワガタを買う。(今も窓際に置いている。)
あとは、学習塾の送迎を時々していたくらい。(電車で帰ってくるのは午後10時くらいになる)
いかに親が危機感なく過ごしていたかというのが分かる。
中3の夏休みの記録もすぐに分かるけれど、楽しい思い出というのが見つからない気がして、日記を開く気になれない。
昨日、ロードバイク用のサイクルコンピュータ(サイコン)が不調なので新しいのを買った。
ロードに乗らない人からすると、「高いお金出して、そんな数字ばっかり見て意味があるの?」と思われるだろう。
心拍数、パワー(ペダル出力)、クランク回転数、速度(平均時速、最高時速)、道の斜度、現在高度、獲得標高、走行距離、消費カロリー、あとは時刻、気温、方角、道路地図(ナビ機能付)・・・。
フィジカルは各種センサーで数値化されるから安心感が生じるし、今後の努力すべき指標になるので、使い出すとやめられない。ただ、数値化や可視化で失われる人の能力も当然あるだろう。方向感覚とか、いざという時の勘とか。
メンタルもいっそ可視化できたらと思うことがある。今の自分がどれだけ元気(意欲とか回復度とか)で、今後どの点をどうすれば改善するのか等。血中セロトニン濃度だけではうつとは診断できない。
率から言えば、うつの人たちはセロトニン濃度に問題がないことが過半数なのである。神経伝達物質の状態も調べることは可能なのだが、(コストのせいか?)そんな検査をした人に会ったことがない。
記憶の操作も軍事レベルでは研究が進みつつあると思うが、倫理的なハードルも高く、医療に活用されるのは当分先だろう。(この手の予測は外れるものなので、分からないが。)
わたしが 日頃イライラを感じる、一般市民の「危機感の無さ」の話とか、人生を変えてしまう「強迫的な狂気」の功罪の話についても考えたが、また改めて考察したい。
写真は、長男が小学校時代に作った紙粘土のドラゴン。少しもこわく見えないのは親だからか。