包帯でぐるぐる巻きなのは、わたしの足である。

 

 通常、ブログでは時事問題は取り上げないことにしている。すぐに色あせるし、消費される話題は、本質的につまらないと思うから。

 逆に言えば、本質的な見解を含んだ意見なら言及に値するかもしれない。

 政局と、皇族の婚姻が同列にニュースになること自体が、この国のダメさ加減を示している。

 

 元婚約者の方は、ストーカーぽい人で、その方の代理人と一緒になって、芸能ゴシップとして弄んでいるように見えるが、当のお二人はもう大人なんだし、一般民間人なのだから、マインドコントロールがどうとか、税金の無駄遣いとか、皇族としての節度や品位がどうとか、もうそっとしてあげてほしい。ルサンチマンから自由になろう。女系皇族の話はまったく別の次元の話題である。

 

 衆院選に関しては、先日、足をひきずって期日前投票に行った。うちの選挙区では、麻生派の前職がリードしているようだが、ひとは不安の中にあると、多少、あるいはかなりの不便や苦難にあっても、現状維持を望む傾向がある。


 権力者が、いわゆる専門家に忖度させて、民衆の不安を煽り続けるのは、権力の維持、エクスキューズも含めた保身目的である。

 

 内田樹氏らが指摘するように、自民党の最大の戦略は、「政治なんて誰がやっても一緒。どうせ今より良くはならない。」と、人々の政治に対する期待や関心を奪い、失望させるとともに無気力化させたことにある。


 そうすれば、利益をこうむる組織票によって、既得権益は永久的に守られる。小選挙区制のデメリットを最大限に活用し、支持層が3割いれば、非支持層が6割になっても、選挙では過半数を維持できるという、悪魔のようなシステムである。


 何でも反対するしか能のない野党の情けなさにも呆れるが、それでも今のままで良いと思う人は、自民党に投票するか、投票率を上げないために、選挙に行かなければ良いだろう。

 

 わたしの予想では、投票率はせいぜい50%、自民は単独過半数を保持し、キングメーカーらによる傀儡政権は、水面下の改憲工作など右傾化を進めこそすれ、弱者に寄り添うような政策は(部分的なバラマキで煙幕を張るが)、ほとんど実現されない。


 総裁選での威勢の良い綺麗ごとは、あまりにも見事に霧散した。ここまで言動不一致が鮮明だと、日本はすでに民主国家とは言えないと確信してしまう。世襲の議員による、王侯貴族封建政治である。

 

 じつは、ここまでは前置き、マクラで、自死遺族がなぜ苦しみ続けなければならないのか等を考察する予定だったのだが、思わず長くなりすぎた。

 

 わたしの選挙区では、おおよそ10万票が当選ラインである。ということは、わたしの一票は、当否において10万分の一の力ということになる。多くの人は、そこに無力感を感じるのだろう。

 

 でも、その確率にくじけているようでは、息子とつながることなど、はなから無理である。たとえ確率的にはほとんどゼロに近くても、ゼロではないと信じることが、明日を生きる力にもなりうるのではないか。