息子は、身体的には健康で、一度も怪我や内科系の病気で入院したことはなく、手術もしたことはなかった。
一方で、わたし自身は、今まで比較的健康に恵まれてきたことを感謝すべきなのだろう。
このたび、足の手術をすることになり、ひどく気が滅入っている。
ひとが手術をしたという話を見聞きしたり、付き添ったことは何度もあるが、「大変だろうな・・・。」という、まさに人ごとの感想しかなかった。
母は、ガンで二度手術をした。父は、脳梗塞や大動脈の手術をした。いずれも命に関わる大手術である。
今も、難病や肢体不自由で大変な日々を過ごしておられる方が多くいることも、頭では分かっている。
わたしの足の手術など、命に別状のあるわけではなく、完治は難しいかも知れないが、現状より良くなる可能性が高いという、まあ、世の中や他の人たちにとっては、どうでもいい話である。
漠然と、自分がこの世界から消えるのは、急性心不全がいいなあ・・・とか、甘いことを夢想していた。
まだ元気が残っているうちに、この命を、本当に生きたいと願っている人に譲り渡すことができれば、どんなにいいだろうと思ったりもした。
現実は容赦なく、じわりじわりと、老いやあちこちの衰えから、痛みや苦しみが増していく。
口では、いつお迎えが来てもいいとか、早く去りたいなんて愚痴を言っているが、結局、最期まで生き抜く覚悟が足りないのだということを思い知らされた。
それでも、あんまり周りに迷惑は掛けたくないなあ・・・とか、もう二度とまともに歩けないのか・・・とうじうじ落ち込んだりする。
手術で少しでも良くなって、再び歩いたり走ったり出来るように、希望を捨てずにリハビリも頑張ろう!と、思える若さとか強さがある人は羨ましい。
おまけ
逢魔が刻とは、黄昏どきの異称。
おもでは、重症の古語。