自死遺族も七回忌まで過ぎれば、おおむね日常生活に支障はない、
ことはない。かなりきつい。
そもそも、わたしは世捨て人となるつもりだったが、中途半端に娑婆に未練もあり、
今年いっぱいは生きてみようと自分を甘やかし、
かなしみを知らない人たちに混じって、
フツーの人を演じてきたつもりだった。
桂枝雀が、楽しそうに日々暮らしていれば、本当に楽しくなるんじゃないかと、無理をして演じていた悲愴さが分かる。
非遺族たちに混じって日常を過ごすことは、なかなかしんどい。
折に触れて、温度差や住んでいる世界の違いを感じてしまう。
このしんどさは、単なる思いこみじゃないのか?
自分で勝手に線引きしてるだけじゃないのか? とも考えて、
息子が居た頃から感じていた日常的な生きづらさと比較してみたりするが、
やっぱり違う。重苦しさや、息苦しさのレベルが違う。二十四時間、不織布マスク二枚重ねの感じである。
息子が居た頃の自分には、二度と戻れない。
すなわち、息子が居た頃の世界には、二度と住めない。
自分に助言するとすれば、やはり浮世のにぎやかで楽しげな情報たちとは、あまり接しないことが賢明だということか。さびしいけれど、それは甘受しなければならない。だって、もう還ってはこないのだから。
幸せそうな人を見ると、どうしてもマイナスの感情が生まれる。
はっきり言って、羨望を超えて、憎悪に近い。
それは、自分自身にとっても非常に良くない精神状態だとは理解できるので、いまだにアカウント削除できないSNSを、今日のところは我慢して閉じるくらいしか、やりようがない。
どうしようもないやるせなさを抱いたまま、
ルーフバルコニーから、満月を眺めた。
今日はこんな気分。これも受け入れなくちゃ。
息子がどこかで一緒に月を眺めていると、そういうふうにはわたしは思えない。そうだったらいいな、とさえもじつは思っていないので、自分の死後には何の希望もない。
何の希望もないということは、絶望もないのと同義か?などと、またウィトゲンシュタイン氏との脳内対話を試みたりする。
まだ少しばかりは残っている、まともな心の部分で、戦友と呼びたい遺族の方々には、穏やかな今日と明日が訪れるよう、祈る。
とりあえず、息子へのお供えと自分自身の形見作りという、目の前の目標を設定して、時間稼ぎをしているような日々である。
望月の裏の暗闇いかばかり