息子の三回忌までの追悼句を中心とした「想ひ出歳時記」の初稿記事は、アメンバー限定公開にしていますが、このたび書籍版を若干部数、「星のしずく(さいたま自助グループ)様に寄贈させていただきました。
わたし自身も、神戸で分かち合いの会に参加した際、同席者の方にお分けしました。
対面式の分かち合いの会など(このご時世、流れがちですが)に、ご参加いただければ、ご覧いただけます。管理人のポピーさんは、なんだかとっても素敵な方ですし、関心がおありの方は、ご検討ください。
(ポピーさん、リブログ、事後承諾してくださいね☆彡)
書籍中の句は、今読み返してみると、生の感情が痛々しかったり、推敲不足のものが大半です。
道端で泣いている人を見ても、悲しみが伝播してもらい泣きすることは無いように、俳句では、感情を伝えるために、敢えて抑えた表現を取るほうが効果的な場合が多いのです。
なので、推敲差替えも含め厳選し、新たに新作を加えて、息子への追悼句を二十八句、ご披露します。今年、息子の生誕二十八年なので。
格調や調べ、余韻等、単体の句としての質が、わたし基準をクリアしたもののみを選びました。
わたしの句歴は三十七年。
水原秋桜子の高弟である大島民郎先生に師事しました。
水原秋桜子は結社「馬酔木」を主宰し、晩年には後継者に堀口星眠を指名。
堀口星眠は、秋桜子没後、いったん「馬酔木」主宰となるが、独立して「橡」を創刊。この際に馬酔木の主要同人らはこぞって橡に移ります。
大島先生(故人)は、水原秋桜子直系として全国最大級の俳句結社である「橡」の上席(筆頭)同人であり、堀口星眠に次ぐナンバー2でした。
わたしは個人的な追悼句に限らず、先生に献じて恥じない句を詠む責任があります。
春風や赦すはずなき暇乞ひ
こんな直截な感情吐露は、ダメだと思い込んでいましたが、他会派の句をある程度勉強してみると、やや考えが変わりました。
かねごとは我のみ覚ゆ花かりん
かねごととは、約束の古語。
花屑にまみれ落枝の咲き初むる
捨てられぬ服あまたあり鳥雲に
鳥雲に入るは春の季語。「鳥雲に」だけでも使います。
ほたる翔つゆるめし指のその先へ
まなうらに影伴はぬ梅雨の蝶
薔薇散ればまた我のみの誕生日
落葉松の立枯れし先山粧ふ
さよならを云ふ間もなくて年果つる
プリクラに紛れ未練の受験票
探梅や吾子と歩みし路ばかり
自撰句集のタイトルは「探梅」。探梅は冬の季語で、かすかな気配を頼りに、早梅を探して逍遥すること。「吾子」は「あこ」と読みます。
貝寄風に彼の地の便り託さなむ
「かいよせ」は、春彼岸の頃に吹く西風で、海岸に貝が流れ着くことがあります。
ギター置きて下北沢の楠若葉
敢えて字余りにして、頓挫したやるせなさを出しました。息子は、下北沢の下宿にエレキギターを持ち込み、下手ながらも練習していました。
石鹸玉歪みし空にはじけたる
「しゃぼんだま」は春の季語。
揚羽蝶生れて今世の葉に休む
「生れて」は「あれて」と読みます。
紫陽花や去年と違はぬ空の色
「去年」は「こぞ」、「違はぬ」は「たがわぬ」と読みます。
のこされし時計休まぬ電波の日
梅雨空にジェット風船散りばめて
アクセルを踏めど彼方や雲の峰
山の日に干すや主なき登山靴
打ち了てまた秋霖の遍路みち
「了て」は「をへて=おえて」。「了へて」でも良いが、俳句では送り仮名を短縮しがちです。シュウリンは秋の長雨。
懐の写真取り出す初紅葉
四国八十八か所遍路巡りを打ち終えて、高野山にお礼参りに行った際の句。
在りし子の誕生日なり天高し
空蝉のすがりしままに寒椿
飛花つかむこと叶はずに放水路
笹舟の行き迷ひては戻り梅雨
向日葵と日の果つるまで見送らむ
舗装路の途切れし空に秋燕
「探梅」抄
✲ カバー写真は、大阪府池田市五月山動物園のウサギ。ふわふわの雪見大福みたいで、あたたかく、撫で心地は最高♡
入園は無料ですが、残念なことに、ふれあい広場は当面の間休止中😣