彼岸は春の季語、秋の場合は「秋彼岸」と称する。理由は、知らない。
早朝から墓参り。朝は飛ばすクルマが多いので、平常心を保つ努力が必要。
墓苑の池には、金魚たちが俊敏に動いていた。
今さっきニュースを見ていたら、
いわき市で、3月11日の給食メニューの赤飯について、抗議の電話がかかってきて、2,100食分を廃棄したとのこと。
3月11日と、最後の給食の日がかぶったのは偶然らしい。
抗議の電話の趣旨は、言われなくとも察しは容易である。
悪者探しはネット時代の弊害だとは思うが、メニュー企画担当者のチェック不足だとは思う。気付いた時点で上に相談すべきではあった。
ここで、「赤飯は本来、めでたい日の献立とは限らない。法事でも出されることがある」などとうんちくを述べても、世論を逆なでするだけであろう。
中学卒業生は震災を記憶としては知らないのであって、最後の給食に非常食の乾パンで代用されたのは、思い出には残るかもしれないが、嬉しくは無かろう。乾パンは実は美味しいなどという言い訳は、それこそ神経を逆なでするので、やめたほうがいい。
卒業生ファーストの意見を述べる人は、愛する人を失った痛みの重さを知らないのではないか?という気にはなる。
だからといって、震災の年(とか前年)に生まれた子どもたちの卒業を、形として祝ってやりたいという心情は尊重されるべきであり、会ったことも無い震災犠牲者達に対して、追悼を強要すべきではないだろう。これは第二次大戦のいわゆる「英霊」に対する姿勢ともつながってくる。
市長が後から述べたように、おにぎりにして持って帰らせたら良かったような気はする。ただ、往々にして、現場の判断は「勢い」とか「空気」に支配されがちである。
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おまけ
週末の、奈良の平城宮址への吟行は、主要メンバーのひとりが坐骨神経痛を悪化させたため、順延になった。
腰痛は気合や根性だけでは何ともし難い。
わたしが、俳句の表彰で東京千代田区にある最高裁判所に出向いたのは40歳くらいの頃だったが、当日の朝にぎっくり腰になり、冗談抜きで、コルセットを巻いても立っているだけで精一杯の状態で、お辞儀ができずに参った。
くだんの俳友は年間345日くらい働いている、偉いお医者さんなのだが、運動不足を補う?ために毎週整体に通っている。 ただ、整体は文字通り対症療法であり、加齢による衰えはいかんともしがたい。といっても、まだ60代半ばであるが。
最近、YouTubeのオススメ動画に「腰痛予防にはプランク」と出てきた。言っている理屈は分からんでもない。要するにコルセット代わりに自分の腹回り腰回りを鍛えて安定させよというのである。
わたし自身は、我慢大会みたいなプランクは好きではない(というか、好きな人ってただのドMだろう)ので、一見負荷がラクすぎるので最近やってなかったマウンテンクライマーを、高負荷アレンジでやってみようかと思っているところ。
今日は本来、自治会の連絡メールをプリントアウトして引継ぎ記録に綴っておくつもりだったが、なんとなくやる気が出ずに、4月の句会の予習だけしていた。
相変わらず外出すると花粉にやられる。ヒノキが飛び始めた。日本中のヒノキを伐採したい。
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おまけ2 母の俳句(初心者編)
母の遺句集はたま~に読み返すのだが、40代半ばで始めた頃の句を改めて読んで仰天した。
これが初心者の句か?と思うくらいに上手いし、上品な都会的センスに富んでいる。
もちろん、大島民郎師の御指導のたまものではあるのだが、
これだったら、水原秋桜子の孫弟子を名乗って恥ずかしくない出来である。
平明で、かつ深い余韻がある。
秋桜子の句は、しばしば水彩画に例えられるが、母の句は水彩色鉛筆の絵のようである。ことばの選択が的確で、取り合わせも自然で動かない。何より、句材及び鑑賞者との距離感が絶妙で、誰も傷つけることなく、景を際立たせている。
芸事においては、身内には厳しく評価するのが社会的マナーでもあるし常識なのだが、
50年前の作品と思えないほど、今のわたしでも太刀打ちできない句がいくつもある。
どなたに対しても、「これが俳句というものです。」と自信をもってお勧めできる。
遺句集「秋草の絵に」 第1章 冬銀河 抄
素描の手休めず風の冬薔薇
ロダン像卒業生の語り合ふ
夕暮の海もむらさきエリカ咲く
梅雨晴の庭に持ち出す小鳥籠
街暮れず運河に月のオブラート
尾翼の灯見つつ失ふ冬銀河
つつ抜けの野外演奏冬木の芽
寒月に影絵となりてのぼる階
木々芽吹き曇天どこか飛行音
天高し尾翼はみだす格納庫
