論議されていた時代です。
そのきっかけとなったのが、1958年に刊行されたジェームズ・アベグレンの
『日本の経営』ですが、そこで日本における(大)企業の特徴としてあげられて
いたのが、いわゆる三種の神器といわれた下記の制度です。
①終身雇用
②年功賃金
③企業別組合
この三種の神器は、“日本的経営”を特徴づける最大公約数的な制度として、
その後も様々な場面でその説明に使われてきました(それだけ本質をついた
特徴だったのだと思います)。
単純に現状面で三種の神器 「終身雇用」 「企業別組合」 「年功賃金」を
支える3つの柱は現在どうなっているのかを見てみると
【終身雇用】
・非正規従業員の増加、解雇規制自由化論議開始
・大企業の経営行き詰まり、倒産事例
<「NIRA2009年4月 緊急提言 終身雇用という幻想を捨てよ」
NIRA理事 柳川範之>
【年功賃金】
・成果主義的な賃金制度導入・定昇廃止(感覚的な印象)
・賃金プロファイルのフラット化(賃金センサスデータ)
【企業別組合】
・組合推定組織率は2012年6月末で17.9%(←厚生労働省組合基礎調
査)
※20%を切ったら大変だ!という感覚が昔ありましたが、2003年に20%
を切ってから、非正規従業員層の拡大等もあり組織率低下傾向に歯止め
が かかっていません
多分に感覚的なものもありますが、ベクトルとしては“日本的経営”を支える
前提条件は、まさに崩れているといえそうです。
確かに“日本的経営”は、基本的には、戦後財閥解体後、高度成長期という
ある一定の条件のもとで、企業パフォーマンスを最大にするシステムだったの
だと思います。
“日本的経営”について活発な論議がなされていた頃でも、その捉え方として
は、経済合理性の基づく実証的な論考がその主流であり、日本人の特質、
歴史的な連続性について論拠を求める論説については、当時から批判的な意
見が多かったような気がします。
しかしながら、もう少し幅広い観点で見れば、日本においては、この“日本的
経営”が企業経営に要請される役割・機能を超えて、ある一種の社会的
役割機能を代替していた面もあったかと思います。
(ex.一橋大学津田真澂教授「生活共同体」的な役割)
それは、会社内という限られた局面のみならず、(家族主義的な経営による)個
人の行動原理と会社の行動原理が一致することによる心理的な安心感(メン
タル面)であったり、旦那が働いて奥さんが育児。家事を行うといった家庭内役
割分担による家庭的な安定感(育児・介護など社会保障面)などです。
※このスタイルが必ずしもいいというわけではありませんが、その時代にはきち
んとそれなりの役割を果たしていたということです。
これからの雇用制度等を考える上では、その制度変更により、従来のその制度
が陰で担ってきた目に見えない部分についての影響もしっかり注視していく必要
があると考えます。
時代時代で、環境に適応する人事制度・雇用制度を導入していくことはもちろん
重要ですが、かって日本的経営といわれる経営スタイルが裏で担ってきた社会
的機能が現在においてどのような制度に置き換えられ、それは実現されている
のか?---
どうも短期的には機能喪失ばかりで、その代替機能の整備は、お寒い
限りのような気がしてなりません。
また、短期的な効果を狙い、後ろにある社会的な機能部分を単にそぎ落として
いくような制度導入は、企業外での従業員の社会的負担の増大という形で、将
来の企業活動に対して回り回ってボディーブローのような形で悪影響につなが
ることになるかと思います。
雇用制度に関する論議が活発化する時代がゆえに、今一度1970年~1980
年代に当時活発に論議された「日本的経営」論に立ち返ることも重要だと思い
ます。
現在の諸課題解決の糸口のようなものが見えてくるのではないでしょうか。
本棚の奥にしまわれた当時の書籍を取り出してあらためて読んでみようかと思
う今日この頃です。

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