快晴な湾岸の朝
でも、見え方は心持ちで変わるね。
いろいろな不安な気持ちがし癒される。
此処からは重い話なので、、、
気分を害される方も居ると思います。
ご留意下さい。
もう、30年以上前の大晦日に、父がすい臓癌で亡くなった事は折に触れて書いてます。
その年の11月の初めに検査に行き、診断されて入院。末期でした。その事は父と一人暮らししている私にも伏せられた。お見舞いには週末行ってたけどクリスマス前に兄から呼ばれて本当の事を告げられた時は先週迄は見られなかった黄疸が出ていてかろうじて私を認識できる位。
年末年始は重篤な患者は北側の個室に集められてました。私はその日から病室に泊り込み父の傍に居ました。担当医師は今は認めらた丸山ワクチン、兄が早朝から並んで購入したものですが、口とは裏腹に投与してはくれませんでした。
口には出さないけど、〝何をしても無駄〟という雰囲気でした。奇跡なんてないだろうけど奇跡に縋りたかった。父は日に日に弱り私の事は看護婦さんと呼ぶ様になり、私は痰を取ったり顔や手足を拭くくらいしか出来ず、、夜中はいろいろ一方的に話かけてました。思い出話や今の生活のこととか、、
毎夜中、何処かの病室に駆け寄る医師や看護師さんの慌ただしい音を聞き、やがてすすり泣く声を聞いて、都度父の口元に手をやり呼吸を確認していました。父はとても苦しそうになっていきました。
今思えば、それは父の死までの時間。意識もなく苦しそうに呼吸をしていました。
私は心配で看護士さんに症状を伝えると枕を低くしたらどうか位で、対応も薄かった。
今、母の入院している病院の看護士さんはどなたも、とても優しく丁寧です。前の病院でもそうだったな。
父は、3日間意識は戻らないまま、大晦日の朝に亡くなりました。家族で見送る事が出来ました。苦しく歪んだ父の最後顔は今でも忘れる事も出来ない苦しみの跡でした。なす術のない、モルヒネ投与だけされて衰弱して死んだ父。
とある、ブロガーさんが書かれていた言葉で、その方のお母様も癌で亡くなられたのですが、その方と医師のやりとりで
”お母さんは、癌で亡くなったのではなく、お母さんの寿命だったんだ”
という様な内容でした。
平均寿命はあるけれども癌で死期が早まるのではなく、その人の寿命だったんだと。
その言葉は私のココロにすんなりと納まりました。
何年生きたとしても心残りもあるだろうし、何年生きれば納得できるのかもわかりません。
ただ、健康寿命はとても意識しています。
そして、辛い加療はして欲しくありません。
手術が出来なくて、ちょっと動いたら肺に水が溜まってしまう、、利尿の薬を使い肺のお水を抜こうとすれば、持病の腎臓炎が悪化してしまう。
長くないなら、もう頑張らなくていいんだ、薬漬けになって苦しくて辛い思いはさせたくないのです。16歳。
もう、私の気持ちはそれだけです。
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