RB692 今週の「校長先生ごめんなさい」 | REGULAR BONUS

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31歳のダウナーな人による、 日々のREGULAR BONUSな瞬間…というかヤだなぁと思った瞬間とかを綴るブログ。

さて、先日掲載した、

「 思い出の地巡りの旅 」(RB685~687)で、

若杉寮というところが跡形も無かったという話を載せました。



もう一度おさらいすると、

高校のバドミントンで合宿の際、なぜか地元よりさらに山奥の

小国中学校の横にある寄宿舎(通称・若杉寮)で宿泊しつつ、

この町内の体育館でキツイ練習をこなしていました。

疲れ果てるため、この宿舎に帰る頃には精神崩壊を起こしており、

箸が転んだだけでも笑い転げる、カオスな状況になっていました。



前回は写真無しでしたが、今回は何とか写真を見つけてきました。

俺が以前、再訪問した際に撮った写真です。



REGULAR BONUS-今は亡き若杉寮


廊下を歩くと床がきしみ、ベッドにはダニが出て、

合宿の疲れが取れるどころの騒ぎじゃない建物でした。

今思えば、だからこそインパクトに残ってるんでしょうけど。



中は、宿舎・食堂・風呂場などから構成されていました。

うちらが泊った部屋は、8人部屋で、

・四隅に2階建てベッド×4つ、

・真中に長机、椅子+蚊取り線香+扇風機

という、合宿の宿舎にぴったりの、質素な造りでした。



さて、この寄宿舎に関しては多くの謎が前々からありました。

そこで、いい機会なんで、小国中学校へメールして問い合わせました。

本当にこの建物は無くなったのか、元々はなんなのか。


すると、返信がありましたんで、一部抜粋しつつ、

箇条書きで掲載します。



・あの建物は生徒用の冬季寄宿舎である

・豪雪地帯の為、創立2年目の昭和43年(1968年)12月に開設

・当初は多くの生徒が集団生活していたが、

 やがて町の道路整備や除雪体制が整い、利用されなくなった

・その後、小国運動公園に隣接する施設の為、

 町が大学などの合宿の際に開放していた



ようやく、あの学校の横という、不自然な位置にある理由がわかりました。

元々はちゃんと学校の施設だったようです。


それと同時に、旧小国町の歴史とともにしてきた施設な気がします。

あの建物以外にも、インフラや、技術の発展と共に、

あのような古典的な物が徐々に使用されなくなったんだと思われます。


最後に行った、2004年の時点で、築36年だったようで。

…その割には、それ以上に貫禄たっぷりだった気が。



さて、メールにはまだ続きがあります。

それによると、やはり2004年の中越地震の際に全壊となり、

取り壊されたそうです。


位置すら曖昧だったので、それも問い合わせて置いたところ、

体育館の奥側の校舎の、さらに奥に存在してたそうで、

跡地はそのまま放置され、すすき原っぱになっているとのこと。

思い出の地巡りの際に回したビデオから推測すると、多分



REGULAR BONUS-跡地…?


ここじゃないかなーと。

記憶で 「 あー!ここだ 」 と補完されない辺り悲しいもんです。

僅か6年前の事なのに。


うちらが推測した、

「 奥側の校舎建て替えの際に潰した 」 説は微妙に違うっぽいです。

その校舎も全壊で、建て替えられたのは合ってましたが、

多分メールの文から考えると、校舎の位置は変わってないっぽいです。


ちなみに、若杉寮という名前については、

「 由来は分からない 」 とのことでした。



と、いうわけで、平成15・16年(2003・2004年)に、

中越地区のバドミントン部で小国合宿を経験した皆様、

あの建物は現在、中越地震の影響で全壊しており、

元は豪雪地帯ならではの寄宿舎だった事が判明したよ!


ねぇ、絶対誰も検索して来ないとは思いますが。



最後に、メールはこのような文で締められていました。


「 以上、簡単ですが、分かる事をお返事させていただきます。

  小国中学校 」



まさか学校長直々とは…お手数おかけしました。

まさかこんなブログに使われてるとは思わないでしょう…。



皆様には全く関係ない内容ですいません。

ですが、思い出の地を巡る旅 第一部、ある意味これで本当の完結です。

全ては分かりませんでしたが、それもまたいいでしょう。