また、こうして一日が終わる。
5年前の今日(23日)、我が地元を大地震が襲いました。
とはいえ、既に人々の記憶から消え、
今は被災者の脳裏にこびり付くだけとなっている。
他人の不幸はどうでもいいものであり、
またいい加減なもので己の不幸も、
時間の経過とともに記憶は軽薄化していく。
片時も忘れることはないだろうと思っていたことも、
今では結構忘れてしまっている。
おそらく、思い出そうとしなかった期間が長すぎた故、
そのまま忘れてしまったんだと思う。
避難生活中、学校が再開される前にも何度か友達と
会っているが、具体的に何を話していたかよく覚えていない。
ただ、あまり深刻になってなかったのはよく覚えている。
発生時のことを、今まで培ってきた要らないトーク力で、
お互いバンバンに笑わせあって話してた。
それが、わざとなのか、素でああなのかも良く覚えていない。
茶化して話すことで、重くなりがちな避難生活から
一種の現実逃避をしていたのかも知れない。
当時、高校2年生だったうちらからすれば、家族と居るよりも
友達と居た方が楽しい、という意味でも、
一家団欒とはまた違う居心地の良さをどっかで求めてたんだろうな、
とあの能天気な行動を振り返ると、たまにそう思う。
最も、うちらの性質上、刻々と話してもつまらないという
魂胆があるので、素でああだった気もするが。
全国ネットで地元が中継されてるようなおおごとのさなか、
「 プラモの剣が突き刺さって死ねばよかったのに 」
「 お前こそ日記に埋もれて死ねばよかったのに 」
みたいなことを言いあってる俺らは異端だったかも。
大人になるにつれて、段々そんな事を言いあえる人達とも
疎遠になるのかなーと思うと、妙にしんみりする今日この頃。
だんだん方向性が変わってきたのでこの辺で強制終了しますが、
こういうアホみたいなブログ書いてるからこそ、余計そう思うわけで。
基本、周りの人間を若干皮肉りつつリスペクトするスタイルですし。
要らない不安抱えるのも、根が暗いからなんでしょうね、きっと。