「シモキタオープンイノベーションTV」で共演した女優の石山さんが出演する舞台を観に下北沢OFFOFFシアターへ。

ゾンビが出てくるコメディ話で、アクションシーン満載なのだが、役者さんたちの力量がとにかく凄まじかった。

「ゾンビ」というキーワードを聞いた時、私などは「それ大丈夫か?」と思ってしまう。

なぜなら、演じる者によっては、メイクして頑張ってるわりに笑えない、サブい空気が場を支配してしまうことなどざらにあるからだ。

しかし、そんなことは一切なく、圧倒的な存在感と演技力で観る者を惹きつけて離さなかった。

よくある「おもろいでしょ?」的なやつじゃなく、シリアスな演技で笑いを取るってホントにすごい!

夜は自身が出演する「シェイプレスライブ」へ。

年に一度のフェイフォン(シェイプレス創始者)の司会。

トークが長い。とにかく長い。

どんなジャンルであれ、とりあえず疑問形で返すフェイフォンの御家芸である。

お客さんの数は少なかったものの、ニコ生放送のコメント数が過去に例を見ないくらい多かったらしい。

誰なんだ?こっそり見てる奴はよー!!

どうしようもない芸人たちの祭典だったが、個人的にはおもしろいライブだったと思う。

私は信じている。

人を魅了するのは信念(執念)を持って生きている人間だけだと。

目先の結果に囚われず、一個一個それを体現していくしかない。

いつかはゾンビ役でも笑いが取れるように…。
某ライブのネタ見せに参加。

スタッフの方が三名ほどネタを見てくれたのだが…

やはり相方の見た目の異常さが気になったらしく、質問はと言えば

「(その顔で)バイトできるの?」

とか

「テレビに映っちゃいけない顔だね」

とか

「川から這い上がってきたの?」

とかそんなんばっかりである。

シュッとした私は、ただただ相槌を打つしかなく、「芸」とは一体何なのだろうかと深い迷宮に入り込んだ気持ちになった。

常々芸人とは、世間の常識ある大人が考えないことを考え、行動に移さないことを行動に移し、発言しないことを発言する生き物、それが仕事だと思ってきた。

しかし、そんなのまったく関係なく、芸人として祭り上げられる人種は存在する。

まぁ、結論としていろんなタイプの芸人がいるということにすぎないのだが、一つだけたしかなことが言えるとするならば


何もしてなくても光るもの、勝手に周りが注目してくれるもの、それが「個性」ってこった。
今日から四日間に渡って徳島では阿波踊りが行われる。

ここ数年はめっきり参加していないが、大学時代は学生たちの連(←踊るグループみたいなもの)に参加してよく踊ったものだ。自分が中心になって率いていたことも。

高円寺や川崎で行われる阿波踊りに助っ人として参加したこともある。

それだけ阿波踊りと縁のある私が心の中で昔からず~っと持ち続けているのが

「阿波踊り、なにがおもろいねん?」

という疑問である。

だって考えてもみてほしい。

もしも冬場に道路の真ん中で着流し姿で必死で変な動きしている人が一人だけいたとしたら、絶対に誰も近寄らないだろう。

それが祭りのどさくさの中で、集団が動き揃えてやってるってだけでみんな目を輝かせて見てるんだから。

おかしな話である。

とはいえ、私だって阿波踊りをやってる最中はテンション高く、その一瞬一瞬を心の底から楽しんだ。

感極まってちょっと泣いたときだってある。

ただ…

「なんじゃこれ?」って常に思ってたけどね。

芸人だからそういう視点からは一生抜けられない宿命なのだろう。
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「勝手にありがとう」に出演。

先輩芸人たちのトークライブなのだが、最近ちょくちょく中説(休憩中にネタ)をさせてもらえるようになり、今回は名前をチラシに入れてもらえるまでになった。

芸人としての実力、人間力みたいなものをまざまざと見せつけられるライブである。

ありがたいことに私のこのブログのことも少々いじってもらえたりしたが、話題に上るということはそれだけ注目が集まっているということだろう。

この際はっきり言うが、ここで書く内容が湿っぽいとか芸人のわりに真面目すぎるとかってことは重々承知している。

なにもユーモアだけがおもしろいとは限らない。内面を吐露したり苦悩した姿を見せることっておもしろくないですか?

笑い=くだらないこと

という大前提がある中で、そこに合わせてくだらないこと考えたってしょーがないってのが私の持論である。

もうすでにあるものに囚われて芸人なんかやっちゃいけないのだ。

少なくともブログについては、たとえ気持ち悪くてもドキュメンタリー性のある方がずっとおもしろいと思う。

そういうつもりで書き連ねている。
とりあえず緊急告知。

「勝手にありがとう(第10回)」 
8月10日(日)

12時半開場
13時開演
予約1500円
当日2000円
※ワンドリンク別

出演
アル北郷
ユンボ安藤
三平×2
居島一平

前座
シェパード太郎
銀座ポップ

中説
ルサンチマン

新宿ネイキッドロフト
(問)0332051556

週末、台風の影響で大荒れらしい。

土曜に地元で行われる予定だった中学の同窓会も中止になった。

まぁ、参加する気などなかったが。

<何年か前に参加した同窓会にて>

たまたま隣に座った女に酒をつごうとしたところ「子供がいるから飲めんのよ」と言って断られた。

酒席でその理屈もいまいちよくわからなかったが(※妊娠中だったわけでもない)、家に帰ってから子供の世話するから酔っ払うわけにいかないんだろうと無理矢理に納得した。

ところが次の瞬間、その女は堂々とタバコを吸いはじめた。

えっ!?

子供がいるから酒は飲まない。

だけどタバコは吸う?

どういう理屈じゃ!?

その同窓会は楽しかった。

ギャグをやらされたりはしたが…

売れない芸人であることを馬鹿にしてくるアホはいたが…

もうずっと中止でいいよ!!
夏だというのにまったく遊んでいない。

周りのみんなが海へ山へと青春を謳歌している中、私は寝ることとバイトしかしていない。

人生の貴重な時間をムダにしている?

そういう意見もあるだろう。でもこっちだってやりたくてやってるわけじゃない。

それに…

ホントにムダかどうかなんて後になってみなきゃわからないもの。

私の好きな歌のひとつに海援隊の「母に捧げるバラード」というのがあるが、その一節に

『休みたいとか遊びたいとかいっぺんでも思うたら死ね』

というくだりがある。

これがものすごく好きだ。

要は覚悟の問題で、この先しんどいことだらけで楽しいことなんか何一つない人生だったとしても、生き続けられるかどうかを問うているのだと思う。

歌詞を真に受けるならば、「遊んだ」とか「休んだ」ではなく「思った」だけで死ななきゃいけないってことは、私は既に何回も死んでることになるな。
駅の中にある某コンビニで買い物したところ袋にチラシが入れられていた。

そのチラシにはスクラッチで当たる人気商品(一例)というのが掲載されていたのだが、それがどう考えても人気なさそうな商品ばかりだった。

具体的に何かは書けないが、数ある商品の中で手を出さないランキング上位に入るような…

そこで私はピンときた。

これ、処分したい品なんじゃなかろうか。

在庫が余ってどうにかしたいからこそ「人気商品」と煽ることによって消費者の購買意欲をそっちに向けたいんじゃないかと。

まぁ、真相はわからないが、結局世の中の人気者なんてその程度。

人気があることになってるから人気が出るのだ。

人気があることになってる芸人になりたい。
浅井企画主催「カンコンキンシアター」を鑑賞しに東京グローブ座へ。

三年連続で観に行かせていただいているこの舞台。コントに次ぐコント。テレビで見る方々がテレビじゃ見せないような(言えないような)部分をさらけ出すのが最大の魅力。

しかし…

やっぱ下ネタと悪口はおもろいな~と思わせてくれる。

会場のお客さんもそういう所で主に笑っている。

たぶん売れてる人っていうのは我々が想像している以上にドロドロとしたものを普段から見ているのだろう。

下ネタだって悪口だって元となる素材があちこちに転がっているに違いない。

でも、テレビとかでは絶対にその部分には触れない。差し障りのない範囲でも確実に笑いを取ることができる。

たぶん(テレビじゃ)使えない笑いを知っているからこそ使える笑いも作っていけるのだと思う。

やろうと思えばできる人があえて違うことをやるときにこそ、真価は問われるんじゃないだろうか。
こないだ健康診断に行ったとき、問診で

「運動不足だと感じているか?」

という項目と

「歩行と同程度の運動を一日30分以上行っているか?」

という項目があり、両方「はい」に○をつけた。

運動の定義が、走ったり泳いだりエアロビしたりということならば、私は完全に運動不足である。

なぜならそんな時間はないからね!!

しかし、日常生活における身体的精神的負担は、そんな生ぬるい運動の比にならないほど日々感じている。

ホントはジムに通って楽しく健全な運動がしたいのだ。趣味と実用を兼ねるようなセコい運動じゃなく、日常から切り離された優雅な運動の時間がほしいのだ。

残念なから貧乏人にその権利はない。いい汗を流すことができるのは特権階級だけ。

ただ…

車でジムまで行って運動してまた車で帰ってくるような輩にこれだけは言いたい。

走って行けや!!!
THE MANZAI予選一回戦に出場。

敗退。

ネタ時間オーバーによる減点が敗因のひとつであることは間違いない。完全に私の判断ミスである。

しかし、そこらへん適当にお茶を濁してごまかすのもイヤなので言うが、正直、ネタもウケてなかった。

笑いはあったが、それらはすべてネタに対してではなく相方の「個性」に対してであった。

異常な風貌、滑稽な仕草、得体の知れない存在に対する笑いなら存分にあった。

それは才能である。

ただ…不本意だ。

ラママに出たときもそうだったが、そこに人々の注目が集まり、ネタの中身など二の次、三の次になっている状況。

私は相当ムカついている。

「漫才をしている」ということを外枠から見て笑うメタ視点の客にとって「こんな奴が舞台に立っている」ということが関心のすべてで、もはやネタの中身になど興味ないのだろう。

見苦しいかもしれないが、俺はこんなことをやるために芸人をやっているわけではない。

いろいろ言いたいことはあるが、ここで書いてることすべてエンターテイメントだってことを忘れないでほしい。