狂気の沙汰としか思えないような事件が相次いでいる。『いちばんおもしろいのは狂気。』という信念の下、我々はネタ中いかに狂ったことができるかを常々考えている。程度こそ違えど狂気というものは誰の心にも存在する。全校生徒の集まる朝礼でいきなりうんことか、家庭訪問に来た先生の顔に熱々のコーヒーとか。このぐらいの衝動になら俺だってかられたことがある。しかし、それを実行に移すのはまったく別次元の話。やるわけがない。あたりまえだ。そんなことしたらとんでもないことになってしまうから。本来、いちばんおもしろいはずの狂気が笑いになる一方、悲劇的な結末を引き起こしてしまうのはなぜか?やはりそれは〝心〟がなかったからだと思う。狂気を狂気だと認識する〝心〟さえあれば、それは笑いに、いや、究極のボケに転化させることができる。その〝心〟を失ってしまった人間、あるいは不幸にも生まれてからずっと与えられなかった人間が極限の状況に追い詰められたとき、社会を震撼させるような事件を起こしてしまうんじゃないだろうか。杞憂かもしれないが、いつか多くの人にとって心のない時代がやってきたら笑いなんて成立しないかもしれない。そうならないことを願う。