櫂がとうとう天国に旅立たった。

 

 

 

この日が来ることを覚悟していたのに
心のどこかでそんな日はこない

せめて、この夏は乗り越えられるという
思い込みのような、

淡い期待をしていた。



初めての発作から4ヶ月弱
(以前の記事はこちら

 

脳腫瘍を患っていることがわかって以来

一緒にいられる時間をどう過ごすか
残された時間をどう過ごすか

自分達にできることをやろうと
そして、少しでも長く一緒にいれるよう

そう考えて一日一日を過ごしていた。


怯えと少しの期待をいつも抱えながら。



発作が起こらないよう、
初めての発作の際の前兆だった
咳き込みやしゃっくりをすれば

すぐに、『大丈夫、大丈夫』と声をかけ
お腹を撫でる。

その効果があったのか、
亡くなる二日目まで
発作が起きることはなかった。


とにかく、できるかぎり一緒に
側で過ごす日々

櫂もそんなことをわかっていたのか、
今まで以上に
僕や妻の側を離れようとしなかった。

 

昔から、意思表示がはっきりしていて
と言うか、わがままで
食べたくない時、気に入らないものは
どんなにお腹が空いてても
意地でも食べない。


腎臓に負担をかけない食事を
何とか食べてもらおうと
手作りのご飯の材料をあれこれ変える。
(実際に作ったのは妻で、僕は
あれこれ意見を言うだけだったけど)



それでも、
お気に召さないとプイッと顔を背ける。

そんな時は、
赤ん坊の頃からのパターンで
手やスプーンで口に運んでやる。

すると、『もっと』とねだってくる。

以前なら、「めんどくさいヤツやな」と
思っていたのが、

今は食べてくれることが嬉しかった。



そうやって
とにかく、栄養をつけてもらおうと
試行錯誤して何とか食べていたのが
少しづつ、少しづつ

食が細くなっていった。

お腹が空いていて
興味があるようなそぶりをするのに
食べなくなって


大好きな甘いものとジャーキーだけを
何とか口にする程度になり
日に日に痩せていく



一時はかなりのおデブさん、
13kgあった体重も
最後は7kgほどになった。


水だけは、
娘がネットで取り寄せてくれた
ミネラルフリーの水素水を
最後まで
シリンジ(注射器)で飲んでくれた。
 

最後の晩餐(櫂の思いやり)


最後に食べ物を口にしてくれたのは
大好きだったパパお手製の
シフォンケーキをひとかけ



大好物の手作りプリンすら
食べるのを拒否していたので

多分食べないだろうと思いながらも
少しでも栄養をとって、
1分でも1秒でも長く生きて欲しくて

ダメもとでシフォンケーキを焼いた。



『櫂くん、食べてみる?』って聞くと
以前のように尻尾を振っておねだり

少しだけちぎって口元に運ぶと



モグモグ

『あっ、食べれるの?』

『もう少しちょうだい』って
目で訴える

それでも、ひとかけがやっと。



なんだか、
パパがせっかく作ってくれたから
無理してでも食べてくれたみたいだった


少しホッとした、次の日の明け方

数日前から明け方になると苦しそうに
パパ、パパって呼ぶことが続いていた。


でも、この日はこれまでで一番、
不安そうで、苦しそうな声で呼ぶ。

飛び起きて、ベットの横のケージで
横になっている櫂を見ると
ぐったりしている。



横に座って撫でながら様子を見る。

力なく舌をダラリと出したまま
虚ろな目をしている。

口が乾いていたので指で水で湿らせる

脳腫瘍のせいか、舌がうまく動かない



1週間後には娘夫婦が帰省する予定。
妻と相談し、娘たちに心配と負担を
かけないようにとこの日の
櫂の様子は伝えずにいた。



何かを察したのか
娘夫婦が1週間早め二日後に
来ると連絡が入る。


櫂に
「お姉ちゃん達が明後日来るから、
それまで頑張ろうな』と声を掛ける。

すると、横たわっている櫂の目に
ジワリと光るものが

そして、微かにうなづいた。

妻が
『櫂くん、わかったんや。偉いね〜』


二人で、
『もうちょっとやから頑張ろうな〜』
と涙声になる。

櫂は答える代わりに、涙を浮かべた。



とうとう、
この時がやってきてしまった。


最後は、何とか、娘たちに会えることを
そして、櫂が苦しまずに旅立てることを
祈った。



ずっと、横たわったままなのに
トイレに行きたいとフラフラしながら
起き上がろうとする櫂を
抱き上げ庭に連れていく。



『トイレだけは、庭じゃないとヤダ!』


こだわりと意地っ張りは
きっとパパ似、いやママ似だと
夫婦で話す。



そして、娘達が来る日の明け方


トイレにいって戻ると

眠っていたはずなのに

櫂がケージから出て座ってる。

『櫂くん、起きてたん?』

はっきりとした目をしてるのを見て
ホッと喜んだのも束の間、

カーベットが黄色いことに気づいた。

吐いたのか?


怖がりな櫂は、気分が悪くなって
不安になって僕を探して、
我慢できなくて吐いてたんだ

『ゴメンな』と声をかけて
体を撫でてやると

安心したように、膝に頭を乗せてくる。



もうちょっとでお姉ちゃん達くるからね
背中トントンしてやると
少し眠ったようだ。

 

 

間に合った!


娘夫婦が帰ってきた。

いつもなら、大騒ぎで玄関まで
お出迎えに行って、早く早くと
抱っこをおねだりする櫂が


何とか体を起こして
玄関の方をじっとみている。

尻尾だけで嬉しさを精一杯表現する。


そして、娘達に撫でてもらってから
ホッとしたのか、また少しの間眠った。


最後の2日間は
見ているのが苦しくなるほどの
櫂の最後の頑張りだった。


できれば、眠るように安らかに
最後の時を迎えてくれることが
僕たち家族の願いだった。

 

 

 

でも、実際は・・・

 
 
そうではなかった。


とうとう、自力で水も飲めなくなり
眼振が頻繁に起こる。


上下、左右、

そして、体を仰け反らしかける。



その度に、目を手で覆い
大丈夫と声をかけ、体を撫でてやると
何とか痙攣を起こさずに済んだ。



何度も体を起こそうとする

おしっこに行きたいのかと思い
抱き上げ、庭に連れていく。


上半身は踏ん張ることができるのだが、
下半身に力が入らない。

体を下から支えてやると
少しだけおしっこをする。

体を拭いて、クッションに寝かす。


少し落ち着いた様子だがすぐに
寝返りを打とうとするがうまくできない


手で支えて、向きを変えてやると
少し落ち着く

でも、眠らない、眠れない
荒い呼吸が少し落ち着くが

すぐに、息苦しそうになる。


少しづつ、眼振が起こる間隔が短くなる



家族で交代で仮眠をとりながら
櫂のそばでずっと体に触れてやる


寂しがり屋で怖がり
みんながいるか目だけで追いかける。


誰かがトイレに行くと戻ってくるまで
そちらに目を向け、
見にくいと起き上がろうとするので
クッションごと向きを変えてやる。


そして、戻ってくると視線を戻す。



ママが台所で食事の準備に取り掛かる。
ママが冷蔵庫に動くとそれを目で追う


パパが立ち上がるとどこ行くのって
目で訴えかける

お姉ちゃんは?、お兄ちゃんは?
みんなが揃っていないと不満な様子が

どこまでも櫂らしい



そして、その日の夜
大きな発作がやってくる

初めての発作以来なかったのに

恐ろしいほど、目がぐるぐる動いて
少しづつ体が反っていく

目を塞いで撫でてやってもおさまらない


息ができないような様子に驚き

気道が少しでも楽になる姿勢を
取らせようと抱きかかえる。

ぐったりと
体をあずけてくる。



『もうダメかも、本当に最後かも』
そう思った時。

櫂の心臓が、一旦止まったように感じた



でも、そこから、
微かだがゆっくりと息を吸ってくれた。

しばらくの間、
いつものように抱っこをして、

 

いつものように甘えて

安心して体を預けてくる。

弱々しい目でみんなを見ている。



『もう頑張らなくてもいいよ。』
『そのまま寝てもいいよ』と
家族全員が櫂に声を掛ける。


櫂は、ゆっくりとみんなの顔を見て
少ししっかりとした顔になった。

 

 

 

 

まだ、頑張ろうとするの?


早く楽になってほしいという気持ちと
まだ行かないでほしいという気持ちが
交錯する。


それから、ほぼ1日
この発作の繰り返しに櫂は耐え続けた。

『もう、いいよ。寝ていいよ。』
何度も何度も声をかけても

櫂は最後の最後まで頑張り続けた。

仕事で帰らないといけないお兄ちゃんが
帰る時まで


お兄ちゃんが帰る時

櫂の体を撫でながら
『櫂、櫂』
それ以外は言葉にならない。


櫂は最後の力を振り絞って
起き上がろうとした。

何度も、何度も起き上がろうとする。

『もういいから寝とき』
みんなが声をかけても
起き上がろうとする。

体を支えてやって玄関の方を見る櫂

『お兄ちゃん、じゃあね』って

そして、



お兄ちゃんが帰って3分後 最後の発作



抱き上げた僕の腕の中で
小さく『フッ』と一息ついた。

櫂が旅立った瞬間だった。

最初に僕に抱かれて
ウチにやって来た櫂が
最後も僕の腕の中で旅立った。

 

 

 

8月4日18時48分

14歳と9ヶ月

 


僕のエゴだったと思う。

頑張りすぎない生き方を広めて
自分らしい生き方を見つけて
幸せになってもらいたいと
カウンセラーをしている自分が


櫂に頑張るよう、
頑張りすぎるように言い続けていた。


『お姉ちゃん達が来るまで』

『お兄ちゃんが帰るまで』



そして、その言葉に答えて
最後まで必死に頑張った櫂


頑張りすぎて
苦しみを増やしてしまった
ような気がする。

そこには、少しでも一緒にいたいという
僕自身のエゴがあったように思う。


そして、櫂は必死にそれに答えようと
苦しい思いをいたのかも

苦しまずに眠るように逝ってくれること
何よりもそんな最後が来てくれれば
いいと思っていたはずが

 

 

実際は、 最後の最後まで

頑張って、頑張って、
頑張りすぎさせて

苦しめてしまった。



最後の最後まで

櫂には教えられることが
本当に本当に

たくさんあった。

天国では、ゆっくり、
いつものわがままでやんちゃで
頑固な櫂らしく走り回って欲しい。

パパは櫂からいっぱいの愛情と幸せと
いっぱい教えられたことを
ちゃんと生かしていくからね。

絶対忘れない。
うちの家族に、
櫂って息子がいることを