この患者さんは胸痛がなく、心電図上ST上昇もなかった事から、なかなか
心筋梗塞(以下MI)の診断がつきませんでした。
2番目に担当した呼吸器の医師が、トロポニンTを採血で追加し、陽性だったのでその段階で初めて
MIが疑われ、循環器内科に連絡がありました。
主旨は、お年寄りでは特に、胸痛を伴わないMIもあること、
また専門医以外はあまり詳しく知らないであろうMR(僧帽弁閉鎖不全症)という合併症を
もう一度思い出して頂こう、ということにあります。
【patient】70代 男性
【主訴】呼吸困難
【現病歴】2005年5月より労作(階段昇降)時の息切れが出現。改善しないために
近医を受診しホクナリンテープ等が処方されていた。6月16日am2:00トイレ歩行時後に
呼吸困難が増悪したため救急要請、ER内科を受診した。ECG上V3~V6 ST低下を認めた。
後にCK上昇(300程度)、トロポニン陽性が明らかとなり循環器内科コンサルトとなる。
AMI lateral(non Q MI);acute MRの診断で緊急入院となった。
【来院時現症】血圧 107/84、体温 36.6℃、脈拍 83 SpO2 98(O2 3L nasal)
(am4:30頃、来院時)心、肺雑音を聴取しなかった。
⇒しかしam10:00には胸部聴診上coarse crackle、wheezingを認め、4LBSを中心とする
Levine Ⅲ/ⅥのSystolic murmurを聴取した。Leg edemaを認めず、その他特記事項なし。
【既往歴】18歳:肺結核、18歳:虫垂炎、75歳:脳梗塞 (糖尿病はなし)
【家族歴】特記すべきことはない
【嗜好】飲酒なし、喫煙20本/day×43年間
【Chest X-p】鎮旧性肺結核であるが、congestion、CTR拡大は見られない(来院時)。
【入院後経過】緊急CAGの結果はLCX#14-99%、LAD#10-CTO。
呼吸困難、血圧低下に対し挿管、IABP施行しながら#14に対するPCIが行われ、
バルーン拡張とステント留置を行った。LVGはⅢ°のMRを認め、EFは40%であった。
経食道echoの結果、前乳頭筋断裂による後尖の逸脱と診断。MVR方針で6月20日に外科転科となった。
【その後の経過】6月21日MVR施行。人工心肺離脱後低血圧となりPCPS装着したまま
帰室。術後の心不全、肺炎でPCPS離脱出来ず。多臓器不全を呈し、7/2全身状態悪化で
死亡。
MVR:mitral valve replacement 僧帽弁置換術
PCPS:percutaneous cardiopulmonary support 経皮的心肺補助装置
【考察】
①本症では、自覚症状に胸痛がなく、心電図上もST上昇やQ波を伴わず、心筋梗塞の
診断は難しい症例であった。実際、この患者は救急診療科からまず呼吸器科に
コンサルテーションとなっていた。呼吸器内科の医師もCOPDの増悪と考えていた。
高齢者の呼吸困難では常に虚血性心疾患の可能性を疑い続ける事が重要であると考える。
参考:心電図の診断感度はLAD閉塞による前壁中隔梗塞では90%以上だが
RCA閉塞による下壁梗塞では60%、LCX閉塞による側壁、後壁梗塞では
50%程度でLCX閉塞によるMIは心電図上診断が最も難しい。
(側壁梗塞は教科書的にはⅠ、aVL、V5、V6でST上昇、異常Q波を認める。)
②本症例は記録によると来院時には心肺雑音がなく、呼吸苦はあってもO2投与下で歩行も
可能であった。しかし循環器内科医の診察の際には高濃度酸素にもかかわらず、
起座呼吸を呈しており、著明な肺雑音も聴取された。
乳頭筋の断裂が起こると突然にMRが起こるため、循環調節機序の働く間もなく
急性左心不全に陥り、高度の肺水腫、呼吸困難、心原性ショックへと急速に進展する。
乳頭筋断裂の頻度は2~3%、(早期にPCIが行われるようになった最近はもう
少し少ないと考えられるが)MRは軽度のもの、一時的なものを含めると半数にのぼると言われている。
心筋梗塞を疑った際には繰り返しの胸部聴診が必要と考えられた。
③乳頭筋不全や乳頭筋断裂は初回の下壁梗塞や後壁梗塞に合併しやすく、右冠動脈または
回旋枝病変に伴う事が多い。梗塞範囲が比較的小さく、心機能の比較的保たれている
例での発症が多いとされている。前乳頭筋に比較すると、後乳頭筋不全や断裂が多い
(3~6倍)とされている。この理由は前乳頭筋が前下降枝と回旋枝の二重支配である
事に対して、後乳頭筋は右冠動脈の1本支配であるためとされている。しかし、本症例
ではもともと#10 DiagonalのCTOに加えて#14の閉塞をきたしたため、比較的めずらしい
前乳頭筋の断裂を生じたと考えられた。
参考:心筋梗塞(最新内科学大系34 中山書店)
循環器疾患最新の治療2002-2003(南江堂)