人は、


自分の都合で思い描いた他の人の様子や

ものの様子や世の中の様子が、


その様にして

『あるものだ!』と信じ切っている。



そう信じている中身は、

全部自分の''心の動き''なのです。





例えば


『バカヤロウ』と怒鳴られた。


すると

「何てひどい人!」と

頭にきたり、恐れたりするのでしょう。



そして、

その相手を酷い人として


恨んだり、憎んだりします。

さらに、


そう思う自分自身の心が


辛かったり苦しかったりするのです。







さて、


禅の問答に以下の様なものがあります。





風が吹いて風鈴の音がした。


師匠「この音は風によって出るのか?

   風鈴によって出るのか?」


すると、


弟子「風でもなく、風鈴でもありません。

   ただ私の心が鳴っているだけです。」


と答えます。



師匠「ならば鳴っているお前の心は何か?」


弟子「全てが静かだからです。」





【風でもなく、風鈴でもなく


ただ私の心が鳴っているだけ】




坐禅弁道をして悟ったと言われる人は

この様な過ごし方で過ごしているのです。



静寂を友として
 
ただ心の動きのままに任せて

思量分別、是非善悪を離れた過ごし方で

過ごしたなら

問題など、起きようがないのです。