現代人は、

溢れかえる情報に晒されて
生きています。


そのいちいちに気を留めていると

本当に世の中は忙しいものだ…と

疲労感を覚える事もあるのかも
知れません。




しかし、

時に、自然の中に身を置くと

本来の静寂に触れて

開放感や癒される感覚を

得ることがあります。






ふと触れた風景に懐かしい感情や

愛おしささえ湧きます。




なぜその様になるのかというと

本来、私たちは静寂だからです。


静寂が初めからないなら

静寂がどの様なものか知り得ない

はずです。




情報過多の中で生活していると

常に私たちの思考は

止むことがありません。




その思考する慌ただしさに

気づきさえしていません。




この思考のノイズが止むと

本当の静寂の中に全てが起きている事を

知ります。




わざわざ自然の中に入って行かずとも

常に癒しと開放はここにあるのです。




思考のノイズが止むと


目に触れる景色
耳に聞こえる音
鼻に匂える匂い
舌に味する味
触れる感じる感触
思える思い



これらは、

直に、純粋に、即に、生に、ありのままに、


何の隙もズレも曇りもなく現れますので


本当に清々しい世界が

広がるばかりなのです。




悲しいこと
悔しいこと
切ないこと
寂しいこと



などは、時に苦悩の感情にもなり

人はこれらの感情を厄介なものと

思い込みますが、



これらの感情さえ

ただ純粋なる悲しさ、悔しさ、切なさ、

寂しさ…として




「今ここの私」を爽やかに彩るのです。