''平常心是道''
(へいじょうしんこれどう)
という禅語があります。
「平常心(普段通りで平静である心)
こそ真実な生き方(道)だ」
というのです。
では、『何を平常心というのか?』
というと、馬祖道一禅師という方は、
『造作無く、
是非無く、
取捨無く、
断常無く、
凡無く聖無し。』
というのです。
「あれこれ考えない、
肯定も否定もしない、
取捨選択しない、
有るとか無いとかを二分しない、
凡人と聖人を区別したりしない」
つまり、
『分別を離れる』
という事にあるのだと思います。
分別とは、
人間の二元、相対的な見方.考え方で、
一方の見方を嫌う為に相反する見方が
あるということです。
美味しい、があれば、不味いがあり
善い、があれば、悪いがあり
好き、があれば、嫌いがあり
迷い、があれば、悟りがあり
金持ち、があれば、貧乏がある
というような
相対性の比較分別する思考で
物事を図るのをやめるということです。
ですから、
平常心になろうとか、
平常心を持とうとか、
平常心でいようとか、
心がけるような作り事をしない。
(造作無く)
平常心とは、
思慮分別を離れ切った
六根の活動としての'事実'のままにある
ことなのです。