今生きている現象世界は、

思考で作り上げた
'虚構'とも言える世界なのです。



現象として、

いちいち起きていることに
本当は意味はないのです。



起きていることが、
ただその様に在るだなのです。



しかし、人は、
起きている現象に意味をつけるので
'観念'と'言葉'の世界に迷うのです。



それが'虚構の世界'なのです。




では、
'虚構'ではない、


何が'事実の世界'なのか?…



というと



私は無いのです! (無我)


驚きですか?



アイデンティティを持つこの私が
'私'であると思えていることも


観念の仕事なのです。

この私とは、誰でも無いのです。



誰でも無いこの私とは、

'父母未生以前の私'としての存在
なのです。


'父母未生以前の私'とは何か?
というと


縁に触れて活動する「六根の活動体」
としての存在なのです。




え?わからない!
何それ?わからない!


と思えているかも知れませんが、、、




'父母未生以前の私'などと
いかにも混沌としていて謎に思えますが、


人は、このように

意味づけをしないで
混沌としたままに
曖昧模糊に
謎だらけにして放っておく
ということができない'性質'を
持ちます。



しかし、

'父母未生以前の私'が
混沌としていると思えていても



実は、


事実は事実のままに

厳然としてあるのです。



事実とは、
六根の活動そのことだけなのです。



他になにも起きていない、

その事実の生活が誰の上にも'今'ある全て

なのです。




事実とは「ことの真実」


であり
'意味づけはできない'のです。



真実はただ真実であるのです。



その虚構ではない、

 

事実.真実の今に生きているのが


既に救われていて


迷いようの無い


'本来の私たちの在りよう' なのです。