知人がかねてより念願の
太鼓を習い始めたという



若い頃と違って腕力も落ちて
全身の使い方も儘ならないので



思い通りの音を出すのに四苦八苦だと話す。



しかし、「思いの通り」とは行かずとも
叩いたら叩いたなりの音が出る。


太鼓を叩く、その強弱、スピード、リズムのままに



不足不離に叩いたままに響いてくれる。


それが、面白いのだそうだ!




これは、

太鼓の中が空洞にできているから
そのまんまの音を出してくれるのだ。


もしも、太鼓の中に何か異物でも入っていたらそのままの音としては響かない。




そこで、
ふと思った!


私たちの出来栄えと一緒なのだ。



私たちも''空''なのだ。



空だからこそ

眼は色を見
耳は音を聞き
鼻は臭いを嗅ぎ
舌は味を味わい
身体は活動する
心は思える



全てが
直にそのまま、いきなり 

いただける出来栄えなのだ。




六根の機能のままに任せていれば

ズレることもなく
重なることもなく
間違うこともなく

混乱するようにはできていない。




太鼓の出す音色のように

今に一つの今だから

誰もがそのまんまに響いているのだ。




すると、



私たちも''空''なのだ。


といった自覚はさらに



''空''こそがわたしたちなのだ!



と転換したのです。