連日のパラリンピックで感じるのは「自己」とは何か?ということ。

 

身体や顔や環境ではなく、それらはすべて単なる楽器であり、それを演奏する意志が、その人の「自己」だと感じます。

 

義手のスプリンター重本紗絵さんはパラリンピックを目指さないか?と監督から言われたとき、なんで私が今さら「障害者」というくくりに入らないといけないのか?と思ったと言います。

 

私たちは「障害者=できることが限られている」というイメージを勝手に持っていないでしょうか?

 

彼女から学べることは、結局、私たちは自分で自分の限界を作り出しているということ。

 

もし「できない」と思ったら、それは勝手な自分の思い込みであること。それに気づくべきです。

 

与えられた楽器に感謝せず、文句を言って勝手に制限をつけているのが、私たちなのです。

 

与えられている楽器(コロナという環境も含め)に感謝し、未来を創造していく意志で、素晴らしい音を奏でましょう!

 

難しい楽器ほど、人を感動させる力があります。私はパラリンピックから、そのことを学びました。