劇団大阪50周年記念戯曲募集で、応募作が佳作を頂きました。執筆に至る経緯は先のブログ、「久し振りの京都公演②」で記した通りです。
タイトルは『空蝉が鳴いている』。
令和の子どもの貧困と昭和の空襲を絡ませた作品で、もともとは以前に一人芝居用に脱稿した『陽だまりの椅子』(未上演)という作品があって、それを複数の役者で演じられるよう書き改めたものです。
ここでは詳細は述べませんが、私の母方の祖父(母の父)が東京大空襲で絶命したとの“噂”が親戚筋で囁かれているようで、あの戦禍に対するざわつきが私の心で、くすぶり続けていることも執筆動機の一つでした。
応募してから発表までの間に、コロナウイルスが世界を席巻しました。
戯曲賞の結果発表は5月1日でしたが、なかなか表彰式の日程が定まらず、主催者の劇団大阪さんも悩まれたようです。
第二波がおさまりつつある中、ようやく11月18日に開催の設定をされたのですが、ここにきて第三波が強まったこともあり、結局表彰式は中止となりました。
私としては、この審査の期間中、審査員の方々や劇団の皆さんに作品を読んでもらえて、もうそれだけでありがたかったし、長引くコロナで外に向かって何ら動けぬ閉塞感に窒息しそうで、だからこそ受賞が心の大きな励みになったことは間違いありません。審査委員長の渡辺えりさんを始め、演劇界で長く活躍されてきた方の審査評は、今後の創作の糧にもなりました
それに、仮に11月18日に表彰式が行われたとしても、私自身、出席が難しい状況でもありました。
前回のブログで書きました父の膀胱癌の手術が、まさに丁度その日、11月18日に決まったからです。父は「手術のことは気にせず、表彰式に参加すればいいよ」と言ってくれていたものの、私は直前まで迷っており結論が出せずで……ですから劇団大阪さんから表彰式が中止になったとの知らせが入った時には、正直ホッとしたのです。高齢の父のことでもあり術後の容体も心配ではありましたし、だからと言って出席を見送ったりすると劇団大阪さんに不義理したことも含めて父自身が私に対して申し訳なさを感じてしまいそうだったからです。
父の癌や世界に蔓延したコロナと、今年がこのような年になるとは思ってもいませんでした。来年がどんなふうになるのか予測もつきません。
しかし一つだけ言えるのは、だからこそ戯曲を書き続けようと思うのです。世界中が命と向き合っている今、私が私であるとブレずに認識できるのが、唯一セリフの執筆だからです。
誰かが読んでくれる可能性があるから。
人との接点を持てる可能性があるから。
本番で上演されれば、観劇してくださった人と心を通わせる可能性があるから。
さあ、今度は何を書こうかと思いを巡らしている時が、苦しくても私の生きている意味を意識し実感できる時間であり、そこから立ち上がる劇世界をいつか誰かと共有したいと、今年は特にそこへの飢えが強く、何としても書かんとあかんと鞭打たれた年でもありました。
劇団大阪の皆さんといつかお会いした日に、しっかりと御礼は言うつもりです。