AKB48の<性>
AKB48の<性>
(2011年度「哲学倫理学特殊II」秋学期末レポート 2012年1月19日(木)提出)
AKB48と言えば、今や日本を代表するアイドルグループということになっているらしい。確かに電車内や街角、テレビの中でAKB48を見ない日はない。リリースするCDも2010年秋以来軒並みミリオンヒットで、2011年に至ってはオリコンCDシングル年間ランキングの上位5位を独占した。しかし彼女たちが本当に日本全国で人気を博しているのかといえば疑問も多々ある。例えば、AKB48というグループ名自体は一人歩きしていても、そこに所属するメンバーの名前に関しては多くの人がほんの少ししか知らない。また、CDの売り上げに関してもCDに握手券等の特典を付けて販売するいわゆる“AKB商法”が批判されており、特典がなければこれほどまでに売れていないのではないかとの見解もある。
しかし、今回はそのような彼女たちが実際に売れているのか売れていないのか、また売れているならばマーケティング的に見てその理由は何か、それは果たしてよいことなのかなどの考察に字数を費やすつもりはない。そのような言説は既に雑誌やインターネット上に溢れ返っている。ここでは、AKB48を一つの文化機関として見た時に、特異的なテーマとして現れると思われる<性>に着目して、それをどのように読み解くことができるか試してみたい。
その方法の一つとして、ここではまず歌詞に注目したい。AKB48の歌と言えば一般的に何が想起されるであろうか。多くの人にとっては『ポニーテールとシュシュ』や『ヘビーローテーション』などここ数年のシングル表題曲かもしれない。そうした歌の主語は何であろうか。「僕」である。少なくともAKB48が社会現象化してからのシングルリリース曲の歌詞は、そのほとんどが男性の視点から女性に対する恋心を描いたものである。しかもこれはしばしば素朴で純粋な片想いとして描かれる。例えば『ポニーテールとシュシュ』では「ポニーテール(切なくなる) 片想い 瞳と瞳合えば 今はただの友達」と歌われている。男性である「僕」が少女である「君」に純朴な恋をするという、非常にベタな異性愛的恋愛コードがそこには書き込まれている。
翻って、創成期からしばらくの間のAKB48の楽曲はどうか。今とは打って変わって少女が自分たちのことを「私」「女の子」といった言葉を使って表現し、自分たちがどのように愛されたいのか、彼女たち自身の性的欲望について時に比喩的に、時には相当直接的に表現している。例えば初期のシングル『制服が邪魔をする』では「制服が邪魔をする もっと 自由に愛されたいの どこかへ連れて行って 知らない世界の向こう」と歌われている。
しかし、AKB48の歌詞に関して、前期は女性目線の歌が多く後期は男性目線の歌が多いといった前述のような分析は、既にライターの岡島紳士・岡田康宏や評論家の宇野常寛によってなされている[1]。それでは、AKB48の楽曲の歌詞において見られる性愛の言説は、片や男性が主語となって少女に対する純愛の気持ちを描いたもの、片や少女が主語となって自らの性的欲望について吐露したものの両極端な2つのみなのだろうか。実はそうではない。上記の2つの言説は、男性目線で書かれたものか女性目線で書かれたものかという違いはあるにせよ、どちらも同じ異性愛的恋愛コードの上に乗っかっている。AKB48の楽曲の中には、必ずしも異性愛的恋愛コードに当てはまらないような、そこから逸脱するような性愛の形について描いた歌詞も存在する。代表的で明確なのは、『禁じられた2人』と『おしべとめしべと夜の蝶々』の2曲である。
『禁じられた2人』[2]は、AKB48の中のチームKが2006年7月8日から2006年11月6日までAKB48劇場で公演していたチームK 2nd 「青春ガールズ」公演の中で、大島優子と河西智美が二人で歌ったユニット曲である。秋元康はこの楽曲について、「チームKの『PARTY~』を見ていた時に「河西はエロいな」「優子の表現力はすごいな」っていうヒントがあった。そこでふたりの禁断の関係をイメージした『禁じられた2人』を作ったんです」[3]と述べている。歌詞の内容はというと、基本的に女性同士の恋愛を描いているのだが、どうやら完全に対等な関係性を描いているわけではないらしく、2人の間には上下関係のようなものが感じられる。それは間奏と後奏に挿入されている2人の台詞を聞き比べると分かる。間奏では河西が大島に対して「湖に小石を投げたように、私の心に波紋が広がります。他の人ではだめなんです。これって、いけないことですか?」と問いかける。ここでは河西は大島に敬語を使って話している。それに応答するかのように、後奏では今度は大島が河西に「さあ、湖にボートを出しましょう。漕ぎ疲れたら、私の腕の中で眠りなさい。夢の中で、私たちは、ずっと、愛し合えるから…」と話している。ここでは大島は「湖にボートを出しましょう」と強制力の強い口調で積極的に提言したり、「私の腕の中で眠りなさい」と命令形で発話したりしている。このことから、この2人の関係性においては河西に対して大島が力を持っているといえる。その権力関係が何によって成り立っているかは明示されていないが、例えば年の差によるものであるとも考えられる。そうだと仮定すると、これは日本の女学校において流行した「エス」という、主に先輩が後輩を寵愛し後輩が先輩を慕うことにより成立する疑似同性愛関係にも似ているかもしれない。
さて、この楽曲の1番のサビの歌詞は「どうぞ 叶わないこの恋を 許してね 胸に秘めたまま どうぞ 残酷な運命に 身をまかせ… 禁じられた2人」となっている。なぜ「叶わないこの恋」であり「禁じられた2人」なのかと言えば、それはこの2人が女同士であるかららしい。その根拠は、2番のサビの歌詞に求められる。そこには「もしも 女として 生まれなかったなら 別れ 来なかった もしも 私が男に生まれていたら 結ばれてた2人」とある。さらに、「どこまでも あなた 愛して いつまでも あなた 愛され 永遠を信じ合ってた 罪は女同士」という歌詞まで存在する。要するに、この2人は女同士であるにもかかわらず愛し合ってしまい、それは「罪」であるから「別れ」なくてはならなくて、だからこの恋は「叶わない」というのである。
これはとてもホモフォビックな歌詞であるということができるかもしれない。権利運動に敏感なレズビアンがこの歌詞を読んだら真っ赤になって怒るかもしれない。AKB48はホモフォビックな文化機関なのであろうか。しかしそう判断するにはまだ早い。約2年後、AKB48には新たな百合曲が誕生する。
それが、次に見る『おしべとめしべと夜の蝶々』[4]である。これは、AKB48チームKが2008年5月31日から2009年4月4日までAKB48劇場で公演していたチームK 4th 「最終ベルが鳴る」公演の中で、大堀恵と河西智美が2人で歌ったユニット曲である。秋元康はこの楽曲については「ひまわり組公演を経て大堀恵のエロさが炸裂してたことも印象が強い。それでこの公演で『おしべとめしべと夜の蝶々』という曲を作りました」[5]と述べている。この楽曲では、『禁じられた2人』に比べて、女同士の恋愛は「罪」であるというテーゼは強く打ち出されてはいない。相変わらず「隠し事は蜜の味」「いけない約束」「危険な遊びね」といったフレーズは出てくるし、ここでしていることは秘め事であるという基本的なトーンは変わっていないのだが、その理由を特に明確に女同士だからというところには起因させていない点が大きく異なる。さらに言えば、「誰かに見られたら どうするの?」「見せてあげましょ?」といったセリフもあり、彼女たちはこれが「隠し事」であることを前提にした上で、わざとそれを見せつけて人々を挑発しようとしているとも取れる。そして、何がこれを「隠し事」たらしめているかと言えば、『禁じられた2人』の純粋な思慕愛イメージからはかけ離れた、秋元康が言うところの「エロさ」である。この曲の中には大堀と河西が互いの肩や身体をまるで愛撫するかのような手つきで撫で合ったり、思わせぶりに抱き寄せたりする振り付けが存在し、さらに最後にはキスまでしてしまう。このキスはもちろん当て振りではなく、実際に唇同士を触れさせて行っている。このまさに夜に戯れる蝶々のような妖艶な雰囲気が、この曲全体を「危険な遊び」に仕立て上げている。
さて、この楽曲はホモフォビックであろうか。少なくとも『禁じられた2人』と比べたときにはぐっとホモフォビックな感じが薄くなっているように感じられる。そしてここでさらに重要な指摘をしたい。それは、この曲の最後にしているキスは、どうやら元々の振り付けにあったものではなく、メンバー自らのアレンジによるものらしいということである。これは、リバイバルコンサートのMC中に大堀が「とも~みちゃん(筆者注:河西智美の愛称)とやる『おしべとめしべと夜の蝶々』。これはお仕事でキスができるという特典がついておりますので、とても楽しみにしております」[6]と言ったのを受け、河西が「あのですね、『おしべとめしべと夜の蝶々』というユニットがありまして、まあその、一番最後の後奏のところでね、いきなりむりやりこう、あのね、むりやりされたりすることがあったんですけども、実際はそういう振りはありませんので、なんかあのめーたん(筆者注:大堀恵の愛称)がレッスン中に「ともちゃんこれはお仕事だから」みたいな感じのことを言ってましたけれども、決してそういう振りではないので、そういうお仕事ではないので(笑)」[7]と話していたことにより判明した。これが本当だとすると、大堀は自らの欲望を角が立たない形で満たし、表現するためにこの楽曲を利用したのだとも言える。アイドルグループのメンバーに女同士の恋愛についての曲、特に性的な表現が強い曲を歌わせる場合、本人達が歌いたくもないような歌詞を押し付けて歌わせるプロデューサーの側がしばしば批判を受ける。特にプロデューサーが男である場合には、そこに女を性的対象として矮小化した結果女同士の性愛を美的でよりエロスが増したものとして捉え欲望する異性愛的男性中心主義の構図が表れているとして批判されることもある。しかし、ここではむしろそのようにして形上プロデューサーから押し付けられたはずの性愛の楽曲を、大堀が自分の性愛を表現し自分の欲望を満たすために上手く利用しているともとれる。
この点に関連して、この曲にまつわる興味深い事例をもう一つ紹介したい。AKB48の姉妹グループに、名古屋市・栄を拠点として活動するSKE48がある。SKE48単独で行われるコンサートにおいては、SKE48のオリジナル楽曲の他にAKB48の楽曲もSKE48のメンバーによって歌われることがある。2010年11月27日に愛知県芸術劇場大ホールで行われたコンサート「1!2!3!4!ヨロシク!勝負は、これからだ!」では、出口陽というメンバーが大堀恵役、平松可奈子というメンバーが河西智美役となって『おしべとめしべと夜の蝶々』を披露した。コンサート後に収録されたインターネットラジオで、平松はその時のことを「私、念願の、大好きな、こないだぼろくそ言われたんですけど大好きな出口陽ちゃんとですね、大堀さんと河西さんがAKB48のやっている、『おしべとめしべと夜の蝶々』っていう、超危ない女の子同士の禁断の愛みたいな歌を、やりました!」[8]と語っている。この曲が「超危ない女の子同士の禁断の愛みたいな歌」であるというのは平松の認識であり、これがそもそもホモフォビックだと言ってしまえばそこまでなのだが、ここではそこよりも平松がこの歌を「大好きな出口陽ちゃん」と歌うことが「念願」であったという点に着目したい。平松は普段から出口のことを恋人と称しており、出口もそれを受け入れ、今では出口もたびたび平松のことを恋人であると公言している。そんな状況下で、コンサートという場において『おしべとめしべと夜の蝶々』をこの2人で歌うことは、自分たちの性愛関係を曲に投影して表現することで、2人の関係性を公にアピールすることになるとも言える。平松はきっとそれがしたかったのではないだろうか。それが平松のいう「念願」という意味ではないだろうか。大堀・河西ペアによる『おしべとめしべと夜の蝶々』では基本的には大堀の欲望が一方的に発露されているだけで、河西はむしろそれに戸惑うような様子も見せていた。しかし出口・平松ペアによる『おしべとめしべと夜の蝶々』では、既に自発的に確立されている2人の互いに欲望し合う関係性が基になっているので、この歌を歌うことで2人の欲望がどちらも自然な形で満たされる。ここが2つの『おしべとめしべと夜の蝶々』の大きく違うところである。
ここでは扱いきれなかったが、AKB48やその派生グループにおいては他にも随所に興味深い、多様な<性>の表象が見られる。これからもこのアイドルグループにさらに様々な<性>の表現が登場して日本のミュージックシーン、否、文化全般におけるセクシュアリティを攪乱してくれることに期待しつつ、本評論を閉じたい。
註
1. 岡島紳士・岡田康宏 (2011) 『グループアイドル進化論』 毎日コミュニケーションズ. 及び、宇野常寛 (2011) 『リトルピープルの時代』 幻冬社. に詳しい。
2. 歌詞はAKB48公式サイトステージソングTeam K 2nd Stage Songs「青春ガールズ」ページ内『禁じられた2人』歌詞ページ(http://www.akb48.co.jp/about/song/lyric/?id=105)から引用(2012年1月19日アクセス)。歌詞全文もこれを参照。
3. 週刊プレイボーイ編集部編 (2011) 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』 集英社. p.193
4. 歌詞はAKB48公式サイトステージソングTeam K 4th Stage Songs 「最終ベルが鳴る」ページ内『おしべとめしべと夜の蝶々』歌詞ページ(http://www.akb48.co.jp/about/song/lyric/?id=136)から引用(2012年1月19日アクセス)。歌詞全文もこれを参照。
5. 週刊プレイボーイ編集部編 (2011) 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』 集英社. p.195
6. 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~ 2011年5月24日 K5th「逆上がり」公演 自己紹介MCにて。DVD「AKB48 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~」の当該箇所より書き起こした。
7. 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~ 2011年5月24日 K5th「逆上がり」公演 自己紹介MCにて。DVD「AKB48 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~」の当該箇所より書き起こした。
8. インターネットラジオ K’zStation 「おしゃべりやってま~す 第48放送」 2010年12月15日放送分より
(2011年度「哲学倫理学特殊II」秋学期末レポート 2012年1月19日(木)提出)
AKB48と言えば、今や日本を代表するアイドルグループということになっているらしい。確かに電車内や街角、テレビの中でAKB48を見ない日はない。リリースするCDも2010年秋以来軒並みミリオンヒットで、2011年に至ってはオリコンCDシングル年間ランキングの上位5位を独占した。しかし彼女たちが本当に日本全国で人気を博しているのかといえば疑問も多々ある。例えば、AKB48というグループ名自体は一人歩きしていても、そこに所属するメンバーの名前に関しては多くの人がほんの少ししか知らない。また、CDの売り上げに関してもCDに握手券等の特典を付けて販売するいわゆる“AKB商法”が批判されており、特典がなければこれほどまでに売れていないのではないかとの見解もある。
しかし、今回はそのような彼女たちが実際に売れているのか売れていないのか、また売れているならばマーケティング的に見てその理由は何か、それは果たしてよいことなのかなどの考察に字数を費やすつもりはない。そのような言説は既に雑誌やインターネット上に溢れ返っている。ここでは、AKB48を一つの文化機関として見た時に、特異的なテーマとして現れると思われる<性>に着目して、それをどのように読み解くことができるか試してみたい。
その方法の一つとして、ここではまず歌詞に注目したい。AKB48の歌と言えば一般的に何が想起されるであろうか。多くの人にとっては『ポニーテールとシュシュ』や『ヘビーローテーション』などここ数年のシングル表題曲かもしれない。そうした歌の主語は何であろうか。「僕」である。少なくともAKB48が社会現象化してからのシングルリリース曲の歌詞は、そのほとんどが男性の視点から女性に対する恋心を描いたものである。しかもこれはしばしば素朴で純粋な片想いとして描かれる。例えば『ポニーテールとシュシュ』では「ポニーテール(切なくなる) 片想い 瞳と瞳合えば 今はただの友達」と歌われている。男性である「僕」が少女である「君」に純朴な恋をするという、非常にベタな異性愛的恋愛コードがそこには書き込まれている。
翻って、創成期からしばらくの間のAKB48の楽曲はどうか。今とは打って変わって少女が自分たちのことを「私」「女の子」といった言葉を使って表現し、自分たちがどのように愛されたいのか、彼女たち自身の性的欲望について時に比喩的に、時には相当直接的に表現している。例えば初期のシングル『制服が邪魔をする』では「制服が邪魔をする もっと 自由に愛されたいの どこかへ連れて行って 知らない世界の向こう」と歌われている。
しかし、AKB48の歌詞に関して、前期は女性目線の歌が多く後期は男性目線の歌が多いといった前述のような分析は、既にライターの岡島紳士・岡田康宏や評論家の宇野常寛によってなされている[1]。それでは、AKB48の楽曲の歌詞において見られる性愛の言説は、片や男性が主語となって少女に対する純愛の気持ちを描いたもの、片や少女が主語となって自らの性的欲望について吐露したものの両極端な2つのみなのだろうか。実はそうではない。上記の2つの言説は、男性目線で書かれたものか女性目線で書かれたものかという違いはあるにせよ、どちらも同じ異性愛的恋愛コードの上に乗っかっている。AKB48の楽曲の中には、必ずしも異性愛的恋愛コードに当てはまらないような、そこから逸脱するような性愛の形について描いた歌詞も存在する。代表的で明確なのは、『禁じられた2人』と『おしべとめしべと夜の蝶々』の2曲である。
『禁じられた2人』[2]は、AKB48の中のチームKが2006年7月8日から2006年11月6日までAKB48劇場で公演していたチームK 2nd 「青春ガールズ」公演の中で、大島優子と河西智美が二人で歌ったユニット曲である。秋元康はこの楽曲について、「チームKの『PARTY~』を見ていた時に「河西はエロいな」「優子の表現力はすごいな」っていうヒントがあった。そこでふたりの禁断の関係をイメージした『禁じられた2人』を作ったんです」[3]と述べている。歌詞の内容はというと、基本的に女性同士の恋愛を描いているのだが、どうやら完全に対等な関係性を描いているわけではないらしく、2人の間には上下関係のようなものが感じられる。それは間奏と後奏に挿入されている2人の台詞を聞き比べると分かる。間奏では河西が大島に対して「湖に小石を投げたように、私の心に波紋が広がります。他の人ではだめなんです。これって、いけないことですか?」と問いかける。ここでは河西は大島に敬語を使って話している。それに応答するかのように、後奏では今度は大島が河西に「さあ、湖にボートを出しましょう。漕ぎ疲れたら、私の腕の中で眠りなさい。夢の中で、私たちは、ずっと、愛し合えるから…」と話している。ここでは大島は「湖にボートを出しましょう」と強制力の強い口調で積極的に提言したり、「私の腕の中で眠りなさい」と命令形で発話したりしている。このことから、この2人の関係性においては河西に対して大島が力を持っているといえる。その権力関係が何によって成り立っているかは明示されていないが、例えば年の差によるものであるとも考えられる。そうだと仮定すると、これは日本の女学校において流行した「エス」という、主に先輩が後輩を寵愛し後輩が先輩を慕うことにより成立する疑似同性愛関係にも似ているかもしれない。
さて、この楽曲の1番のサビの歌詞は「どうぞ 叶わないこの恋を 許してね 胸に秘めたまま どうぞ 残酷な運命に 身をまかせ… 禁じられた2人」となっている。なぜ「叶わないこの恋」であり「禁じられた2人」なのかと言えば、それはこの2人が女同士であるかららしい。その根拠は、2番のサビの歌詞に求められる。そこには「もしも 女として 生まれなかったなら 別れ 来なかった もしも 私が男に生まれていたら 結ばれてた2人」とある。さらに、「どこまでも あなた 愛して いつまでも あなた 愛され 永遠を信じ合ってた 罪は女同士」という歌詞まで存在する。要するに、この2人は女同士であるにもかかわらず愛し合ってしまい、それは「罪」であるから「別れ」なくてはならなくて、だからこの恋は「叶わない」というのである。
これはとてもホモフォビックな歌詞であるということができるかもしれない。権利運動に敏感なレズビアンがこの歌詞を読んだら真っ赤になって怒るかもしれない。AKB48はホモフォビックな文化機関なのであろうか。しかしそう判断するにはまだ早い。約2年後、AKB48には新たな百合曲が誕生する。
それが、次に見る『おしべとめしべと夜の蝶々』[4]である。これは、AKB48チームKが2008年5月31日から2009年4月4日までAKB48劇場で公演していたチームK 4th 「最終ベルが鳴る」公演の中で、大堀恵と河西智美が2人で歌ったユニット曲である。秋元康はこの楽曲については「ひまわり組公演を経て大堀恵のエロさが炸裂してたことも印象が強い。それでこの公演で『おしべとめしべと夜の蝶々』という曲を作りました」[5]と述べている。この楽曲では、『禁じられた2人』に比べて、女同士の恋愛は「罪」であるというテーゼは強く打ち出されてはいない。相変わらず「隠し事は蜜の味」「いけない約束」「危険な遊びね」といったフレーズは出てくるし、ここでしていることは秘め事であるという基本的なトーンは変わっていないのだが、その理由を特に明確に女同士だからというところには起因させていない点が大きく異なる。さらに言えば、「誰かに見られたら どうするの?」「見せてあげましょ?」といったセリフもあり、彼女たちはこれが「隠し事」であることを前提にした上で、わざとそれを見せつけて人々を挑発しようとしているとも取れる。そして、何がこれを「隠し事」たらしめているかと言えば、『禁じられた2人』の純粋な思慕愛イメージからはかけ離れた、秋元康が言うところの「エロさ」である。この曲の中には大堀と河西が互いの肩や身体をまるで愛撫するかのような手つきで撫で合ったり、思わせぶりに抱き寄せたりする振り付けが存在し、さらに最後にはキスまでしてしまう。このキスはもちろん当て振りではなく、実際に唇同士を触れさせて行っている。このまさに夜に戯れる蝶々のような妖艶な雰囲気が、この曲全体を「危険な遊び」に仕立て上げている。
さて、この楽曲はホモフォビックであろうか。少なくとも『禁じられた2人』と比べたときにはぐっとホモフォビックな感じが薄くなっているように感じられる。そしてここでさらに重要な指摘をしたい。それは、この曲の最後にしているキスは、どうやら元々の振り付けにあったものではなく、メンバー自らのアレンジによるものらしいということである。これは、リバイバルコンサートのMC中に大堀が「とも~みちゃん(筆者注:河西智美の愛称)とやる『おしべとめしべと夜の蝶々』。これはお仕事でキスができるという特典がついておりますので、とても楽しみにしております」[6]と言ったのを受け、河西が「あのですね、『おしべとめしべと夜の蝶々』というユニットがありまして、まあその、一番最後の後奏のところでね、いきなりむりやりこう、あのね、むりやりされたりすることがあったんですけども、実際はそういう振りはありませんので、なんかあのめーたん(筆者注:大堀恵の愛称)がレッスン中に「ともちゃんこれはお仕事だから」みたいな感じのことを言ってましたけれども、決してそういう振りではないので、そういうお仕事ではないので(笑)」[7]と話していたことにより判明した。これが本当だとすると、大堀は自らの欲望を角が立たない形で満たし、表現するためにこの楽曲を利用したのだとも言える。アイドルグループのメンバーに女同士の恋愛についての曲、特に性的な表現が強い曲を歌わせる場合、本人達が歌いたくもないような歌詞を押し付けて歌わせるプロデューサーの側がしばしば批判を受ける。特にプロデューサーが男である場合には、そこに女を性的対象として矮小化した結果女同士の性愛を美的でよりエロスが増したものとして捉え欲望する異性愛的男性中心主義の構図が表れているとして批判されることもある。しかし、ここではむしろそのようにして形上プロデューサーから押し付けられたはずの性愛の楽曲を、大堀が自分の性愛を表現し自分の欲望を満たすために上手く利用しているともとれる。
この点に関連して、この曲にまつわる興味深い事例をもう一つ紹介したい。AKB48の姉妹グループに、名古屋市・栄を拠点として活動するSKE48がある。SKE48単独で行われるコンサートにおいては、SKE48のオリジナル楽曲の他にAKB48の楽曲もSKE48のメンバーによって歌われることがある。2010年11月27日に愛知県芸術劇場大ホールで行われたコンサート「1!2!3!4!ヨロシク!勝負は、これからだ!」では、出口陽というメンバーが大堀恵役、平松可奈子というメンバーが河西智美役となって『おしべとめしべと夜の蝶々』を披露した。コンサート後に収録されたインターネットラジオで、平松はその時のことを「私、念願の、大好きな、こないだぼろくそ言われたんですけど大好きな出口陽ちゃんとですね、大堀さんと河西さんがAKB48のやっている、『おしべとめしべと夜の蝶々』っていう、超危ない女の子同士の禁断の愛みたいな歌を、やりました!」[8]と語っている。この曲が「超危ない女の子同士の禁断の愛みたいな歌」であるというのは平松の認識であり、これがそもそもホモフォビックだと言ってしまえばそこまでなのだが、ここではそこよりも平松がこの歌を「大好きな出口陽ちゃん」と歌うことが「念願」であったという点に着目したい。平松は普段から出口のことを恋人と称しており、出口もそれを受け入れ、今では出口もたびたび平松のことを恋人であると公言している。そんな状況下で、コンサートという場において『おしべとめしべと夜の蝶々』をこの2人で歌うことは、自分たちの性愛関係を曲に投影して表現することで、2人の関係性を公にアピールすることになるとも言える。平松はきっとそれがしたかったのではないだろうか。それが平松のいう「念願」という意味ではないだろうか。大堀・河西ペアによる『おしべとめしべと夜の蝶々』では基本的には大堀の欲望が一方的に発露されているだけで、河西はむしろそれに戸惑うような様子も見せていた。しかし出口・平松ペアによる『おしべとめしべと夜の蝶々』では、既に自発的に確立されている2人の互いに欲望し合う関係性が基になっているので、この歌を歌うことで2人の欲望がどちらも自然な形で満たされる。ここが2つの『おしべとめしべと夜の蝶々』の大きく違うところである。
ここでは扱いきれなかったが、AKB48やその派生グループにおいては他にも随所に興味深い、多様な<性>の表象が見られる。これからもこのアイドルグループにさらに様々な<性>の表現が登場して日本のミュージックシーン、否、文化全般におけるセクシュアリティを攪乱してくれることに期待しつつ、本評論を閉じたい。
註
1. 岡島紳士・岡田康宏 (2011) 『グループアイドル進化論』 毎日コミュニケーションズ. 及び、宇野常寛 (2011) 『リトルピープルの時代』 幻冬社. に詳しい。
2. 歌詞はAKB48公式サイトステージソングTeam K 2nd Stage Songs「青春ガールズ」ページ内『禁じられた2人』歌詞ページ(http://www.akb48.co.jp/about/song/lyric/?id=105)から引用(2012年1月19日アクセス)。歌詞全文もこれを参照。
3. 週刊プレイボーイ編集部編 (2011) 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』 集英社. p.193
4. 歌詞はAKB48公式サイトステージソングTeam K 4th Stage Songs 「最終ベルが鳴る」ページ内『おしべとめしべと夜の蝶々』歌詞ページ(http://www.akb48.co.jp/about/song/lyric/?id=136)から引用(2012年1月19日アクセス)。歌詞全文もこれを参照。
5. 週刊プレイボーイ編集部編 (2011) 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』 集英社. p.195
6. 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~ 2011年5月24日 K5th「逆上がり」公演 自己紹介MCにて。DVD「AKB48 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~」の当該箇所より書き起こした。
7. 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~ 2011年5月24日 K5th「逆上がり」公演 自己紹介MCにて。DVD「AKB48 見逃した君たちへ~AKB48グループ全公演~」の当該箇所より書き起こした。
8. インターネットラジオ K’zStation 「おしゃべりやってま~す 第48放送」 2010年12月15日放送分より
AKB48ムチャぶりバラエティーにおけるセクシュアルマイノリティの表象とジェンダー構造
AKB48ムチャぶりバラエティーにおけるセクシュアルマイノリティの表象とジェンダー構造
(2011年度「異文化間コミュニケーションI」レポート 2012年1月17日(火)提出)
私はこのレポートで、ファミリー劇場で2008年9月14日と21日の二回にわたり放送された「AKB48 ネ申テレビ シーズン1 ゲイの心を掴みファンを拡大せよ!」を視聴し、本番組におけるジェンダー・セクシュアリティ表象について分析したい。
この番組を選んだ理由は二つある。一つ目は女性アイドルであるAKB48がメインキャストとして登場するバラエティー番組ということで、女ジェンダーに対するまなざしを分析することが可能であるためである。二つ目は世界最大のゲイタウンとしてセクシュアルマイノリティのみならずセクシュアルマジョリティにも広く知られている新宿二丁目が取り上げられているため、セクシュアルマイノリティのテレビ表象がどのようになっているかを分析することが可能であるためである。
まず、この番組の概要を説明したい。そもそも「AKB48 ネ申テレビ」とは、毎週AKB48から数人のメンバーが選出され、そのメンバーが番組の用意するムチャぶり企画に挑戦するという番組である。文字通り無茶な企画に挑戦する中でアイドルの素顔が垣間見れるというのがこの番組の売りである。そしてこの「ゲイの心を掴みファンを拡大せよ!」という回では、選出された4人のメンバーがAKB48のファン層をさらに拡大するために新宿二丁目を訪れた。メンバーは二手に分かれ、秋元才加と野呂佳代はショーパブでニューハーフと一緒にショーに出ることでニューハーフと客の心を掴みファンを拡大することに挑戦し、戸島花と大堀恵はゲイバーで働かせてもらい、AKB48のPRをしてファンを拡大することに挑戦する。ちなみに、ニューハーフ・ショーパブに関してはスタッフが事前に店を見つけていたが、ゲイバーに関しては働かせてもらえる店を探すところからのスタートであった。
そこでジェンダー・セクシュアリティ表象の分析に入る。まずそもそもこの番組の大枠の構図は男性が女性アイドルにムチャぶりをするというものである。番組の始めにはお笑い芸人である有吉弘行が「ムチャぶり伝道師」として登場し、VTRにて、および途中からは直接メンバーがいるところにやってきて、ムチャぶり企画を発表する。この番組が人気を博している一番の要因もこの構図にあると推察されるが、それは裏を返せば女性アイドルというのは普段無茶なことや大変なことになりふり構わず取り組むことで、醜い、少なくとも美しくはない姿を見せることはないという規範があるということである。女性アイドルは取り乱した姿など見せず、何があっても動じず凛としているべき存在なのだ。その規範が侵されるからこそ、この番組は面白いとされるのである。これはもしかしたら「女性」の規範であるのみならず「アイドル」の規範でもあるのかもしれない。むしろ、「アイドル」だからこそこのような規範が付与されるのであって「女性」であるかどうかは関係ないという反論もあるかもしれない。しかし、私はやはり「女性」の規範としてもこのことが存在しているという説をとりたい。なぜなら、例えば男性アイドルグループTOKIOは日本テレビ系列で放送されている「ザ!鉄腕!DASH!!」という番組の中で、月3万で借りることのできる土地を探してDASH村という架空の村を作り、人が生活することのできる村作りを目指して農作物を作ったり動物を飼育したりしているが、彼らの活動は視聴者から面白いプロジェクトであると捉えられることはあっても、アイドルがムチャぶりされて困っている姿を見られて楽しいといったトーンで語られることはないからだ。
次に、新宿二丁目という場所を取り上げたことについてである。今回この番組内で新宿二丁目が活動場所として取り上げられた理由は、表向きにはAKB48のファン層を異性愛者のみならず新宿二丁目に集うようなセクシュアルマイノリティ(ここでは主にゲイとニューハーフが想定されている)にまで拡げるためである。しかし、この裏には新宿二丁目という場所は普段普通の人はなかなか行く機会のないゲテモノ趣味の場所であるという認識があり、そのような場所に女性アイドルが侵入すること自体が「ムチャぶり」であってバラエティー的に面白いから新宿二丁目を取り上げたというのがスタッフの本音ではないだろうか。少なくとも、撮影に協力してくれたニューハーフ・ショーパブやゲイバーのスタッフや客はAKB48のファンになってくれたかもしれないが、この放送や企画自体を通してAKB48のファン層がセクシュアルマイノリティにまで拡がったという実態はないと推察される。真剣にAKB48のファン層をセクシュアルマイノリティにまで拡げたいと考えていたのならば、新宿二丁目にある全ての店を回ってAKB48のフライヤーを配布し店に置いてもらうなり、新宿二丁目に限らず、またバーにも限らず、セクシュアルマイノリティの集うコミュニティセンターなどを回ってAKB48の宣伝活動を行う等、より実効性の高そうな案は他にいくらでもあっただろう。それでも新宿二丁目で働くというあまり実効性が高そうでない案を提示したスタッフには、新宿二丁目で働いている人々を「イロモノ」として見て、そこに女性アイドルをぶつけることが面白いという思いがあったのではないだろうか。これは結果としてセクシュアルマイノリティ全体を「イロモノ」「ゲテモノ趣味」といったイメージと結びつけること、もしくは視聴者が元々もっているそうしたイメージの結びつきを強化することにつながってしまう。もっとも、新宿二丁目は確かに夜の街であり、「イロモノ」といったイメージは間違いであるとも言い切れない。問題なのは、セクシュアルマイノリティには一般の人と大差ない昼の生活もあり、新宿二丁目のような特殊な街に繰り出すのは夜だけであるということや、必ずしも全てのセクシュアルマイノリティが新宿二丁目に集っているわけではない、特に近年では全く新宿二丁目に足を運ばないまま一生を終えるセクシュアルマイノリティも多いといったことを補足しないまま、新宿二丁目=イロモノ=セクシュアルマイノリティとも取れるような形で放送したことである。ここに関してきちんとした説明があれば、セクシュアルマイノリティに対する偏ったイメージを視聴者に植え付けることを防げた可能性がある。
次に、セクシュアルマイノリティ内の様々なカテゴリーについての概念整理が番組内でどのようになされていたかについて検証する。ゲイバー組の戸島と大堀は、最初に新宿二丁目にあるココロカフェに寄り、カフェのスタッフから新宿二丁目にいる人々の様々なセクシュアリティについて教えられた。大堀がそれを自分なりに図にまとめている。さらに大堀の描いた図に番組スタッフがテロップをつけて解説している。そこでは、「ゲイ 男性を好きな男性」「ドラァグクイーン 派手な女装でパフォーマンスを行う男性」「レズビアン 女性を好きな女性 通称:ビアン」「ニューハーフ 身も心も女性的な元男性」「バイセクシュアル 男性も女性も両方愛せる人」という説明がなされている。最後に大堀がココロカフェのスタッフに自分の描いた図を見せ「あってますか?」と聞くと、スタッフは「5割ぐらい…」と答えた。この図には性同一性障害の人も含めたトランスジェンダーやトランスセクシュアル、女装子さんも含めたトランスヴェスタイトなどが登場していないため、「5割ぐらい」あっていると答えたのだろう。しかし、この図を明示してテロップまで付けて紹介してしまうと、視聴者はこの「5割ぐらい…」というスタッフのぼやきを聞き逃すかさほど重要な発言であると捉えず、この図を鵜呑みにしてしまう可能性がある。それは新宿二丁目にも数多くいる、もちろんセクシュアルマイノリティ全体から見たらより多くの位置を占めるトランスジェンダー/トランスセクシュアル/トランスヴェスタイトの存在を見えにくくしてしまうことに繋がる。さらに、この放送全体を通じて、主役の女性アイドルであるAKB48のメンバー4人以外にはほとんど女性が登場しない。ココロカフェのスタッフのうちの一人が唯一レズビアンとして登場していたが、他には一人も女性は出てこなかった。確かに新宿二丁目は世界最大のゲイタウンとして名を馳せてきた場所ではあるが、現在ではレズビアンバーも増え、レズビアンバーが密集して立ち並ぶ「レズの小道」と呼ばれる一角も誕生している。こうしたことを考えると、レズビアンがほとんど登場しないというのは新宿二丁目の実情を正しく反映した放送であるとは言えない。しかし、今回の企画ではそもそも「ゲイ」と「ニューハーフ」に着目しているのだからこれでよいのだという意見もあるかもしれない。それはもっともであるが、そもそも番組スタッフがゲイとニューハーフに着目して企画を作ったのも新宿二丁目のイメージとしてはゲイとニューハーフが依然として強いからであろう。やはりゲイカルチャーに対してレズビアンカルチャーというのはいまだに特に日本においては確立しておらず、特に対外的にはレズビアンは表象として弱いということが言えそうだ。
新宿二丁目の中でのジェンダー規範がどのように表象されているかについても見ておきたい。まず、ニューハーフ・ショーパブで働く野呂・秋元は開店前に接客の極意を教わる。それはホステスとして甘えることである。ここでは、バーで働く女性は甘えることで主に男性である客から好かれるという異性愛社会におけるジェンダー構造が反復されている。また、野呂が休憩時間に自分はそんなにモテる方ではないという悩みを相談すると、ニューハーフのママやスタッフがそれはハキハキしていて出来る女というイメージがあるからではないか、モテるためには2・3歩下がって歩くことが必要だと言う。ここで「モテる女の条件 2・3歩下がって歩く控えめな女」というテロップが表示される。さらに、開店後男性客に「魅力的な女性は?」と聞くと「一歩下がって黙って言うこと聞く女」との回答が返ってきた。ここでニューハーフのスタッフ達は、ほらさっき言った通りでしょといった趣旨の発言をしている。ここでも、(先導する男性に対して)魅力的な女性は従順で控えめな人であるという異性愛社会におけるジェンダー規範が反映されている。これだけ見ると、セクシュアルマイノリティの世界でもジェンダー規範は異性愛社会と変わらないと思われるかもしれない。しかし実際にはもちろんこのような考えを持ったセクシュアルマイノリティばかりではない。セクシュアルマイノリティの中には現在の社会のジェンダー構造に疑問を持ち、セクシュアリティのみならずジェンダーの面からも多様な性を持つ人が生きやすい社会への変革を考えている人や団体も多い。この番組では新宿二丁目にいるセクシュアルマイノリティの一部がいまだに繰り返している異性愛的ジェンダー構造を暴くことに成功している反面、異性愛的ジェンダー構造について真摯に再考しているセクシュアルマイノリティもいるということは表象されておらず、誤解を招く可能性がある。
結論として、この番組においては撮影や取材によって得られた新宿二丁目の実情はねじ曲げられずにそのまま放送されているが、そもそもの企画設定段階においてジェンダー的配慮が足りなかったり、補足説明が足りていないがために放送されたことだけがセクシュアルマイノリティの真実であるかのように捉えられてしまう可能性があることが問題である。
(2011年度「異文化間コミュニケーションI」レポート 2012年1月17日(火)提出)
私はこのレポートで、ファミリー劇場で2008年9月14日と21日の二回にわたり放送された「AKB48 ネ申テレビ シーズン1 ゲイの心を掴みファンを拡大せよ!」を視聴し、本番組におけるジェンダー・セクシュアリティ表象について分析したい。
この番組を選んだ理由は二つある。一つ目は女性アイドルであるAKB48がメインキャストとして登場するバラエティー番組ということで、女ジェンダーに対するまなざしを分析することが可能であるためである。二つ目は世界最大のゲイタウンとしてセクシュアルマイノリティのみならずセクシュアルマジョリティにも広く知られている新宿二丁目が取り上げられているため、セクシュアルマイノリティのテレビ表象がどのようになっているかを分析することが可能であるためである。
まず、この番組の概要を説明したい。そもそも「AKB48 ネ申テレビ」とは、毎週AKB48から数人のメンバーが選出され、そのメンバーが番組の用意するムチャぶり企画に挑戦するという番組である。文字通り無茶な企画に挑戦する中でアイドルの素顔が垣間見れるというのがこの番組の売りである。そしてこの「ゲイの心を掴みファンを拡大せよ!」という回では、選出された4人のメンバーがAKB48のファン層をさらに拡大するために新宿二丁目を訪れた。メンバーは二手に分かれ、秋元才加と野呂佳代はショーパブでニューハーフと一緒にショーに出ることでニューハーフと客の心を掴みファンを拡大することに挑戦し、戸島花と大堀恵はゲイバーで働かせてもらい、AKB48のPRをしてファンを拡大することに挑戦する。ちなみに、ニューハーフ・ショーパブに関してはスタッフが事前に店を見つけていたが、ゲイバーに関しては働かせてもらえる店を探すところからのスタートであった。
そこでジェンダー・セクシュアリティ表象の分析に入る。まずそもそもこの番組の大枠の構図は男性が女性アイドルにムチャぶりをするというものである。番組の始めにはお笑い芸人である有吉弘行が「ムチャぶり伝道師」として登場し、VTRにて、および途中からは直接メンバーがいるところにやってきて、ムチャぶり企画を発表する。この番組が人気を博している一番の要因もこの構図にあると推察されるが、それは裏を返せば女性アイドルというのは普段無茶なことや大変なことになりふり構わず取り組むことで、醜い、少なくとも美しくはない姿を見せることはないという規範があるということである。女性アイドルは取り乱した姿など見せず、何があっても動じず凛としているべき存在なのだ。その規範が侵されるからこそ、この番組は面白いとされるのである。これはもしかしたら「女性」の規範であるのみならず「アイドル」の規範でもあるのかもしれない。むしろ、「アイドル」だからこそこのような規範が付与されるのであって「女性」であるかどうかは関係ないという反論もあるかもしれない。しかし、私はやはり「女性」の規範としてもこのことが存在しているという説をとりたい。なぜなら、例えば男性アイドルグループTOKIOは日本テレビ系列で放送されている「ザ!鉄腕!DASH!!」という番組の中で、月3万で借りることのできる土地を探してDASH村という架空の村を作り、人が生活することのできる村作りを目指して農作物を作ったり動物を飼育したりしているが、彼らの活動は視聴者から面白いプロジェクトであると捉えられることはあっても、アイドルがムチャぶりされて困っている姿を見られて楽しいといったトーンで語られることはないからだ。
次に、新宿二丁目という場所を取り上げたことについてである。今回この番組内で新宿二丁目が活動場所として取り上げられた理由は、表向きにはAKB48のファン層を異性愛者のみならず新宿二丁目に集うようなセクシュアルマイノリティ(ここでは主にゲイとニューハーフが想定されている)にまで拡げるためである。しかし、この裏には新宿二丁目という場所は普段普通の人はなかなか行く機会のないゲテモノ趣味の場所であるという認識があり、そのような場所に女性アイドルが侵入すること自体が「ムチャぶり」であってバラエティー的に面白いから新宿二丁目を取り上げたというのがスタッフの本音ではないだろうか。少なくとも、撮影に協力してくれたニューハーフ・ショーパブやゲイバーのスタッフや客はAKB48のファンになってくれたかもしれないが、この放送や企画自体を通してAKB48のファン層がセクシュアルマイノリティにまで拡がったという実態はないと推察される。真剣にAKB48のファン層をセクシュアルマイノリティにまで拡げたいと考えていたのならば、新宿二丁目にある全ての店を回ってAKB48のフライヤーを配布し店に置いてもらうなり、新宿二丁目に限らず、またバーにも限らず、セクシュアルマイノリティの集うコミュニティセンターなどを回ってAKB48の宣伝活動を行う等、より実効性の高そうな案は他にいくらでもあっただろう。それでも新宿二丁目で働くというあまり実効性が高そうでない案を提示したスタッフには、新宿二丁目で働いている人々を「イロモノ」として見て、そこに女性アイドルをぶつけることが面白いという思いがあったのではないだろうか。これは結果としてセクシュアルマイノリティ全体を「イロモノ」「ゲテモノ趣味」といったイメージと結びつけること、もしくは視聴者が元々もっているそうしたイメージの結びつきを強化することにつながってしまう。もっとも、新宿二丁目は確かに夜の街であり、「イロモノ」といったイメージは間違いであるとも言い切れない。問題なのは、セクシュアルマイノリティには一般の人と大差ない昼の生活もあり、新宿二丁目のような特殊な街に繰り出すのは夜だけであるということや、必ずしも全てのセクシュアルマイノリティが新宿二丁目に集っているわけではない、特に近年では全く新宿二丁目に足を運ばないまま一生を終えるセクシュアルマイノリティも多いといったことを補足しないまま、新宿二丁目=イロモノ=セクシュアルマイノリティとも取れるような形で放送したことである。ここに関してきちんとした説明があれば、セクシュアルマイノリティに対する偏ったイメージを視聴者に植え付けることを防げた可能性がある。
次に、セクシュアルマイノリティ内の様々なカテゴリーについての概念整理が番組内でどのようになされていたかについて検証する。ゲイバー組の戸島と大堀は、最初に新宿二丁目にあるココロカフェに寄り、カフェのスタッフから新宿二丁目にいる人々の様々なセクシュアリティについて教えられた。大堀がそれを自分なりに図にまとめている。さらに大堀の描いた図に番組スタッフがテロップをつけて解説している。そこでは、「ゲイ 男性を好きな男性」「ドラァグクイーン 派手な女装でパフォーマンスを行う男性」「レズビアン 女性を好きな女性 通称:ビアン」「ニューハーフ 身も心も女性的な元男性」「バイセクシュアル 男性も女性も両方愛せる人」という説明がなされている。最後に大堀がココロカフェのスタッフに自分の描いた図を見せ「あってますか?」と聞くと、スタッフは「5割ぐらい…」と答えた。この図には性同一性障害の人も含めたトランスジェンダーやトランスセクシュアル、女装子さんも含めたトランスヴェスタイトなどが登場していないため、「5割ぐらい」あっていると答えたのだろう。しかし、この図を明示してテロップまで付けて紹介してしまうと、視聴者はこの「5割ぐらい…」というスタッフのぼやきを聞き逃すかさほど重要な発言であると捉えず、この図を鵜呑みにしてしまう可能性がある。それは新宿二丁目にも数多くいる、もちろんセクシュアルマイノリティ全体から見たらより多くの位置を占めるトランスジェンダー/トランスセクシュアル/トランスヴェスタイトの存在を見えにくくしてしまうことに繋がる。さらに、この放送全体を通じて、主役の女性アイドルであるAKB48のメンバー4人以外にはほとんど女性が登場しない。ココロカフェのスタッフのうちの一人が唯一レズビアンとして登場していたが、他には一人も女性は出てこなかった。確かに新宿二丁目は世界最大のゲイタウンとして名を馳せてきた場所ではあるが、現在ではレズビアンバーも増え、レズビアンバーが密集して立ち並ぶ「レズの小道」と呼ばれる一角も誕生している。こうしたことを考えると、レズビアンがほとんど登場しないというのは新宿二丁目の実情を正しく反映した放送であるとは言えない。しかし、今回の企画ではそもそも「ゲイ」と「ニューハーフ」に着目しているのだからこれでよいのだという意見もあるかもしれない。それはもっともであるが、そもそも番組スタッフがゲイとニューハーフに着目して企画を作ったのも新宿二丁目のイメージとしてはゲイとニューハーフが依然として強いからであろう。やはりゲイカルチャーに対してレズビアンカルチャーというのはいまだに特に日本においては確立しておらず、特に対外的にはレズビアンは表象として弱いということが言えそうだ。
新宿二丁目の中でのジェンダー規範がどのように表象されているかについても見ておきたい。まず、ニューハーフ・ショーパブで働く野呂・秋元は開店前に接客の極意を教わる。それはホステスとして甘えることである。ここでは、バーで働く女性は甘えることで主に男性である客から好かれるという異性愛社会におけるジェンダー構造が反復されている。また、野呂が休憩時間に自分はそんなにモテる方ではないという悩みを相談すると、ニューハーフのママやスタッフがそれはハキハキしていて出来る女というイメージがあるからではないか、モテるためには2・3歩下がって歩くことが必要だと言う。ここで「モテる女の条件 2・3歩下がって歩く控えめな女」というテロップが表示される。さらに、開店後男性客に「魅力的な女性は?」と聞くと「一歩下がって黙って言うこと聞く女」との回答が返ってきた。ここでニューハーフのスタッフ達は、ほらさっき言った通りでしょといった趣旨の発言をしている。ここでも、(先導する男性に対して)魅力的な女性は従順で控えめな人であるという異性愛社会におけるジェンダー規範が反映されている。これだけ見ると、セクシュアルマイノリティの世界でもジェンダー規範は異性愛社会と変わらないと思われるかもしれない。しかし実際にはもちろんこのような考えを持ったセクシュアルマイノリティばかりではない。セクシュアルマイノリティの中には現在の社会のジェンダー構造に疑問を持ち、セクシュアリティのみならずジェンダーの面からも多様な性を持つ人が生きやすい社会への変革を考えている人や団体も多い。この番組では新宿二丁目にいるセクシュアルマイノリティの一部がいまだに繰り返している異性愛的ジェンダー構造を暴くことに成功している反面、異性愛的ジェンダー構造について真摯に再考しているセクシュアルマイノリティもいるということは表象されておらず、誤解を招く可能性がある。
結論として、この番組においては撮影や取材によって得られた新宿二丁目の実情はねじ曲げられずにそのまま放送されているが、そもそもの企画設定段階においてジェンダー的配慮が足りなかったり、補足説明が足りていないがために放送されたことだけがセクシュアルマイノリティの真実であるかのように捉えられてしまう可能性があることが問題である。
AKB48グループ関連の文章をアップしていきます
色々思うところがあり、良い機会なので今まで大学の課題レポート等で書いてきたAKB48グループ関連の文章をまとめてアップしていきたいと思います。
数年前に書いた文章もあり、文章や内容の稚拙さが感じられるものもありますが、ひとまず記録用ということで加筆修正せずにそのまま掲載していきたいと思います。
当然のことではありますが、無断転載やアイディアの盗用はご遠慮ください。
せっかくですので、ご意見、コメント等あればコメント欄にいただけると嬉しいです。様々な方のAKB48Gに対する見方を知りたいところです。
また、普段はtwitter @rero70 にてAKB48G関連のつぶやき・批評を行っていますので、宜しければ覗いてみてください。
数年前に書いた文章もあり、文章や内容の稚拙さが感じられるものもありますが、ひとまず記録用ということで加筆修正せずにそのまま掲載していきたいと思います。
当然のことではありますが、無断転載やアイディアの盗用はご遠慮ください。
せっかくですので、ご意見、コメント等あればコメント欄にいただけると嬉しいです。様々な方のAKB48Gに対する見方を知りたいところです。
また、普段はtwitter @rero70 にてAKB48G関連のつぶやき・批評を行っていますので、宜しければ覗いてみてください。
