本当に“波動が高い”人は 
ものすごく柔らかい人、だと思う





考え方も柔らかいし
佇まいも柔らかいし





なんだろう
在り方そのものが
柔らかくて光っている





固定観念みたいなもので
“頑な”になっていない人






っていうイメージ





水が流れて循環するように
光がその形を一定に保たないように





考え方も、心も、臨機応変に
良い意味で常に流れている 
 




波の高低はあれど 
総じて“フラット”なのだ 
 




自然界では
水も、光も、風も、火も
すべて、柔らかい、
留まってはいない 







それと同じように

 




信念がないわけではない
むしろ信念はある





けどそれを 
“正”だと押しつけない
 




自分の中の軸は 
ちゃんと大切にしている
 




そして同時に自分を 
良い意味で疑っている
 




本当に、そうだろうか?





自分が見ている面とは
ちがう面があるんじゃないだろうか
 




その考え方ができる人は
安易に人をジャッジしない
  




こうあるべきだ!
なんていちいち主張しない
 




自分と自分が信じるもの以外を
わざわざ下に見たりしない 





自分の居る環境が1番だ!最高だ! 





なんてわざわざ主張して 
都度、安心しようとはしない
(自分に暗示をかけない)
 




もっと自分を 
客観的に見る癖をつける





お世辞や上辺だけで寄ってきたり
持ち上げる人ばかりじゃ 
きっとほんとのことはわからないよ
 




正直にまっすぐに
意見やフィードバックをくれる人
 




大事にしよう
本物の鏡を手に入れよう
 




“楽しむこと”
許可していいんだよ
じゃないと 
誰かが楽しんでいることも
許可できなくなっちゃう
 





それを否定することで 
安心したくなるんだよ
自分はまちがってないんだ、って
心を安定させたくなるんだよ
 





どんどん。
つまらない人間になっちゃうよ
 




人にはみんなそれぞれ
「真実」がある
あなたも、わたしも 
 




例えば 
冗談を言っている人が
ふざけているばかりじゃない
 




その場を和ませたい
笑いで人の心をほぐしたい
場を明るくしたい





そんな隠れた思いがあるのかもしれない





静かで、厳かで、真面目で
それももちろん素敵なこと





でも、
それが一番、それが正解、 
ってことじゃないんだよね
(反対ももちろんそう)





そこを 
想像できる人
思いやれる人
尊重できる人
 




自分とは違う考えや在り方を
認めることができる人
 




それが本当の意味で
「波動が高い」 
ってことだと思うけどなぁ






思いやりとは想像力である
思いやりのある人間で在りたい






これからも
裸の王様にはなりたくないし
自分の大切な人にも
なってほしくないなぁと切に思う




《あとがき》

波動を整えることは
大切だと思う




でも。 





他人のことを見て 
波動が低い、とかいちいち
批判したりジャッジするのって




それ自体が、そもそも
まず「低い」ことなのに
大丈夫かなって
見かけると逆に心配になる
(余計なお世話なんだけど、私も)





感謝の気持ちは忘れずに 
信じることと
盲目になることは
履き違えないように
これからも居たいと思う





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次回は5月4日以降となります^^